忠犬カノジョとご主人様
「八神君……大丈夫?」
「大丈夫です、すみません」
双葉さんは、かなり真剣な表情で俺に耳打ちした。
笑って返したつもりだったのに、立ちくらみがまだ完全におさまらず、焦点が定まらなかった。
……くそ、最悪だ。こんな所双葉さんに見られるなんて、情けない……。
双葉さんは、そんな俺の様子を見てパソコンを閉じ、荷物をまとめだした。そして、俺の前に腕を差し出し、「私に掴まって。タクシー乗り場まで送るよ」と言った。
双葉さんの細い腕に掴まって、もしまた立ちくらみを起こして彼女を巻き添えにしてしまったらどうしよう……と不安になっていると、はやく、と真剣な声で言われたので俺は有り難く彼女の腕に掴まった。
エレベーターで一階までおり、ビルを出ると、夏のむわっとした空気が全身を覆った。
「すみません双葉さん……、本当情けないです……」
「朝から顔真っ白だったもん。ちゃんとしたご飯食べてないでしょう?」
「料理、全然できなくて……夜はほぼ食べてなかったです」
「バカ」
「すみません」
双葉さんの“バカ”の言い方があまりに可愛くて、俺は相当自制心がぐらぐらになった。
体調を崩す度にこんな風に自分のことを怒りながら心配してくれる彼女がいたら、一体どれほど仕事を頑張れるだろう……。
そんな風に妄想を膨らましながら双葉さんの後をついていくと、突然彼女がピタリと足をとめた。
彼女の視線の先には、俺を間男呼ばわりした男―――海空さんがいた。
「……あ、お疲れ様です」
一番に口を開いたのは自分だった。
それから、双葉さんも同じように挨拶をした。
恐らく、部下である俺の前で、どんな風に恋人に挨拶をしたらいのか、考えあぐねていたのだろう。
そして、男である俺と2人きりでいるところを見られてしまったことへの動揺もあるのだろう。
海空さんは、タクシー乗り場の近くで、俺たち2人をいつもと同じ冷ややかな目で見つめていた。
こんなにむわっとした気温なのに、汗1つかかずに、薄い水色のシャツをさらっと着こなしているエリート社員。
腕に持った上着と、かなり高級そうなバッグと時計が、彼のその近づきがたい雰囲気をより煽っていた。
「……具合が、悪くて、八神君。辛そうだったから心配でここまでついてきたの」
「……へぇ」