忠犬カノジョとご主人様
ありがとう。
言い切る前に、涙がこぼれた。
泣くつもりなんかまったくなかったのに。
八神君はそんな私を見て表情をかたまらせた。
いやだ。どうしたの私。八神君終電ギリギリなんだから引き止めちゃ駄目だって。
何してんの本当。
仮にも部下に、こんな姿見せるなんて。
みっともない、私。
「双葉さん……」
八神君は、真剣な表情で私に近づいてきた。
「で、電気消して、お願い」
泣き顔を見られたくなくて、私は震えた声でそう言った。
八神君はパチッと電気を消してくれた。
「ごめん、なんでもないの」
「双葉さん、触れちゃいけないと思って触れてなかったっすけど、今日海空さんは何してるんすか……? 誕生日なのに……」
「終電、間に合わなくなるよ」
「そんなん今どうでもいいんです」
「八神君……?」
「言葉だけでも、ちゃんと祝ってもらったんすか?」
「………」
「働いてるのは海空さんだけじゃないのに……」
「……て」
「どんな恋人達も、親しい仲でも、そこに思いやりが無かったら、どっちかが寂しい思いをするだけですよ…!」
「めて……」
「俺はそんなの」
「やめて……っ」
私は、両手で八神君の口を塞いだ。
八神君は、今にも泣きだしそうな切なそうな瞳で私を見つめた。
どうして、って、目が訴えてる。
わかんないよ、私だって。
でも、自分だってどうしたらいいのか分からないことを人に指摘されると、もう逃げ場が無くなる気がしたんだ。
八神君の口をおさえていた震えた手を、八神君がゆっくりと剥がした。
それから、せめて仕事を手伝わせてくださいと、八神君が椅子に座った。
もう彼の終電時間はとっくに過ぎていた。
「そんな顔しないでください」
と、八神君が笑った。
もうどうせ家に帰れないので、と言って、何か手伝えることありますか? と腕まくりをした。
私は、今度はちゃんとありがとうと言って、情けない笑顔をつくった。
八神君はそんな私を見て、優しく笑った。