彼はお笑い芸人さん

「……あい、ああ今から出る。あ、何? 誰がしが候(そうろう)だっつの。開戦が早かったんですー」

 ぐんちゃんとの短い会話を終え、はあと溜め息ついた透琉くんはこっちに向き直った。

「ごめん、もう行かなきゃ。群司、近くまで迎えに来てるって」

「えっ、そうなの。じゃあ早く行かなきゃだね」

「ごめんね、菜々ちゃん。また、絶対連絡するから。今日はありがと。実家のお父さんお母さんによろしくね」

 別れ際、あっと思い出したように言って、透琉くんはジーンズのバッグポケットから財布を取り出し、細長い紙を差し出した。

「もしこっち帰って来てて、暇してたら観に来て。久々にライブ出るんだ」

 渡されたのは、お笑いライブのチケット二枚。同じ事務所のお笑い芸人さんたちが、毎月数組ずつ出演している定 例のものだ。
 去年まではこれがとーぐんのメインの仕事だったのに、一気にブレイクしてからはあちこちに引っ張りだこでライブには出れていなかった。

 ライブはすげー怖い。平気でスベる。場に呑まれたら負け。
 そう言って、負けた日はぐちぐちとビールを飲んで、いい気分になって、大きな夢を語る透琉くんを何度も見てきた。

 あの頃より確実に夢に近づいているけれど、確実にあの頃の透琉くんのほうが楽しそうだった。
 現実は難しい、理想どおりにはいかない。

 それは私も同じだ。

 フリーター同然の夢追い人だった透琉くんに対して不安はあったけど、夢に追いつきそうな透琉くんにもまた違った不安や不満を抱いてしまう。
 透琉くんが人気者になって、忙しくなったことは喜ぶべきことなのに、そんなに頑張らなくてもいいじゃないか、もう少し休んで、一緒にいてほしいと願ってしまう。
 バラエティ番組で、透琉くんと女性タレントさんが絡んでいるのを見て、もやもやしてしまう。

 こんなんじゃ駄目だ。
「芸人さんの彼女」なら、それなりの器でなくちゃ。


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