この冬が終わる頃に

「大人しく俺のいうこと聞いとけば、こんなことにならいてないんだって、仕事。だいたい、里菜実は仕事を理解していない。」

 仕事で、落ち込んでいる女にかける台詞ではないだろう。
 こんなに、ずたずたに言われたら、泣くことぐらい許されるだろうか。
 仁和の指先が私の頬に触れる。彼の人差指に、私の涙が吸い付くのが見えた。私はその手を振り払う。

「仁和さんは、何が言いたいのよ。言いたいことがいつも分からない。」
「あぁ、そこから、俺は説明しないといけないのか。」

 溢れてくる涙で、仁和がよく見えない。
 でもきっと、仁和は呆れているだろう。
 綺麗な顔を少しだけ緩ませて、ため息を付いているのだろう、仁和のため息だけが耳に届いた。

「昔、里菜実のデザインを持って、営業してた時期があった。営業先で受けが良かったし、俺も気に入ってたから。そのうち、お前のデザインが上がってこなくなった。結婚でもして辞めたんだろうなって、勝手に思った。なのに、お前、フツーに働いてただろ?だから。」
「説明になってない。」
「ずっと見てた。デザイン部で入社したのに、いつの間にか管理職みたいなことさせられて、クマ作って髪の毛ぼさぼさにして、女失格みたいな格好して。あーでもないこーでもないとか、言いながら報告書作って、頭下げて、馬鹿だろ?なんで、周りを頼らない?」
「で、仁和さんを頼って、結婚すればいいって?」
「そうそう。他の奴に頼って、盗られるのはシャクだと思うだろ。」

 仁和は、やはり仁和らしく自信満々にそう言った。
 再び私の頬に伸びてくる仁和の指先を、今度は振り払えなかった。

「好きだ。」
「へ?」
「へって?俺、最初からそう言ってただろ。」
「言ってない。」
「はぁ?付き合おう、結婚しよう、嫁に来いって、言った時点でそういうことだろ、何、お前、頭大丈夫?」

 あぁ、そういうことか。好き、というわずか二文字が、心地よく身体に溶けていく。
 そうか。だから、強引に私を引く腕を払いのけれないのか。
 この人は、私の腕を引っ張って生きていってくれるのか。
 だから、こんなに私の中のどこかが、不安定でもろくて、泣いてしまうのか。そうか、好き、なのか。

「仕事辞めて、結婚しよう。里菜実は、俺だけを頼ればいい。団地の天辺に大きな家立てて、里菜実によく似た女の子三、四人とさ、夕飯作って俺の帰り、待ってろよ。幸せだと思うだろ?」

 やはり仁和は、自信満々に言う。

「ていうか、何が不満なんだ?給料だって十分あるし、社会的信用とか、地位とかもだな。」
「家、広いと掃除大変じゃない。仁和さん、グルメだから、料理まずいとか言われそう。子供は、仁和さん似のイケメンの男の子がいい。」
「家の掃除は、ルンバを増やせばいいだけだし、飯は食えればいい。子供は、女の子四人と、男一人で妥協する。」

 拗ねた子供みたいに仁和は言った。
 悪い気はしなかった。
 差し出された手をとるか、躊躇することさえ許さない、それは一種の優しさだろう。

「ええ。」

 頷いたままの私の輪郭を、仁和の指がなぞる。
 少し硬い手の腹が、私の頬に触れる。
 鋭い光を放つ瞳の中心に疲れた女がいた。そうか、仁和には私がこんな風に映っていたのか。
 甘い唇が、柔らかい。
 普段、全てをかっさらていくほど乱暴なのに、仁和の唇は嘘みたいに優しかった。
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