この冬が終わる頃に

 昨日の疲れが抜けきれないまま、私は駅の改札口をくぐる。
 人波にされるがままホームへと昇り、乗客を吐いては呑み込んでいくだけの電車へと流される。
 規則正しいリズムに揺られながら、電車は敷かれたレールの上を寸分たがわず走っていく。
 私も同じだ。毎日同じ、この電車に乗せられ、会社へと急ぐ。

「岡田くんっ。」

 エレベーターに乗り込んで、二階。廊下を進んで、突き当りのフロアが私のオフィスだ。
 いつも通り出社し、一番に私は部下の岡田の名前と悲鳴を上げた。

「桐島さん、勘弁してください、許してください、限界だったんです。」

 デスクの上に、これでもかという程、書類がうず高く積み上げられている。
 その山の向こうで、岡田は机に突っ伏して、瀕死状態だった。
 おそらく泊まり込みの仕事の末の、徹夜明けだろう。

「原稿は、パソコンに送っといたんで、確認お願いします。納期は今日の十時なんで、それまでに訂正とかあったらお願いします。」

 それだけ言うと、岡田はばったりと机の上に沈没した。

「全く。甲斐田くん、岡田くんに毛布掛けといてあげて、どうせ昼まで使い物にならないから。」
「はーい。」

 私がそういうと、今年入社したばかりの甲斐田が、毛布を運んでくる。
 それを確認してから、私はためいきを吐いた。

 この仕事について、もうすぐ十年にもなる。
 企業の広告のデザインや、商品のパッケージのデザイン、イベント会場のデザインなどを主にしている。
 納期が差し迫ると数日会社に寝泊りというのも珍しくない。
 私が入社したてのころは、製図版やデスクより大きな模造紙を広げて仕事をしていた人もいたが、今では皆パソコンで行う。よって、部下たちは皆黙々とパソコンの画面に向かい仕事を行っている。
 私は、それらの最終確認と責任を持つことが仕事だ。
 短大を卒業して、今の会社に入社し、それなりに仕事をこなして、自分のチームを持たせて貰っている。
 いわゆるチーフオフィサー、主任だ。別に、肩書だけだが。

 岡田から送られてきたデザインと書類の確認を進める。
 私の下について長い岡田のものなら、ほぼ間違いはないだろう。要点を押さえながら、私は淡々とこなす。

「桐島先輩、原案の確認お願いします。それから、コーヒーどうぞ。」
「ありがとう。」

 甲斐田が淹れてきたコーヒーと原案を受け取る。コーヒー特有の香りを感じながら、書類を捲った。
 そして、私はいつものように息を呑んだ。
 いつもそうだ、甲斐田のデザインには、いつも驚かされる。

「相変わらず、甲斐田くんは、凄い。」
「先輩にそう言ってもらえると、なんかすごい自信になります。」

 目を輝きながら、甲斐田はそう言った。
 今年入社したばかりの甲斐田真咲(かいだ まさき)は、凄い。
 おそらく、会社中の誰が見ても凄いと言うと思う。デザインという仕事は、経験や知識ではなく、才能だ。
 そう、私が培ってきた経験も、努力も無駄だと、彼の才能は私を突き放そうとする。
 しかし、同時に、優しくて、丸くて、暖かいデザイン。
 思わず、指先で触れたら温度があるのではないかと、いつも思う。

 しかし、当の本人は、それを知っているのかいないのか、いつも無垢に笑って見せる。
 くりくりとした大きな丸い目に、ふわふわとした猫っ毛が特徴的。真咲という女の子っぽい名前になぞらえるように、その顔は中性的なつくりだ。
 女の私が、羨ましくなるくらい可愛らしい。

「次のバレンタインデー企画、甲斐田くんやってみない?」
「へ?」
「もちろん、私も一緒にやるし、岡田くんを一緒につけるから。」

 どうかしら、そう言うと甲斐田は大きく頷いた。
 キラキラと瞳を輝かせながら、見つめてくる甲斐田が可愛くて、思わず頭を撫でる。
 くすぐったそうに私を見てくる甲斐田にわしゃわしゃと彼の髪の毛を掻き乱してやった。

「ちょっと先輩ぃ、髪が絡まる。大変なんですよ、このウルトラ猫っ毛の手入れ。」
「いいじゃない、可愛くて、羨ましい。」
「羨ましくないです、全然。」

 少し照れながら甲斐田が言った。

「ということで、今日の二時からの会議、一緒に出席ね。」

 再び、甲斐田は大きく頷いた。


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