君と防音室で…
母から突然のお知らせがあって3日。
家では母にほとんど会わない。
どうやらピアノ教室にマイルームがあるらしくて寝泊まりしていたらしい。
たまに帰ってくる時には、必ずなんで今更エントリーしたの!?と思いっきり言った。
今日は母より有名な国際的に有名な鬼と言われるピアノの先生、東堂先生の家での特別レッスン日で、予選での曲を決めてもらった。
「予選は適当にやりたい曲でいいと思うぞ!」
「ドビュッシー、月の光は…?」
「お前の月の光は幻想的でいいもんな!」
鬼と言われてもピアノで間違えなければ怖くない良い人。
嫌いじゃない。
「じゃあさっそく弾いてみて」
楽譜をたてて、ペダルに足を乗せ引く。
私が今まで弾いたピアノの中で1番弾きやすいピアノ。
目をつぶって、曲想を考えて弾く。
もちろん気持ちも込めて。
弾き終わるといつも思う。
ドビュッシー天才♡と…
にやけ笑いが止まらない…
バコーン!
2人だけの室内に響く叩かれた音。
頭が痛い。あぁ、叩かれたんだー
「そこ違うって前も言ったやんか!なんでできへんの?」
「痛い…痛い…暴力ですよ…」
「間違えたお前が悪いんよ!はよ直せ!そんなんじゃ予選も通過出来んよ!!」
鬼、東堂先生の覚醒。
関西出身の東堂先生はキレると関西弁になる。
間違えたところ私にはわからなかったのにな…やっぱりあの人は天才。
なのに…
なぜピアニストじゃないのか?不思議すぎる。
「とりあえずここや!直せよ!それ以外はできとるんだから。」
もう一度弾く。
「今度はテンポ!感情のままに走ったらだめやからな?コンクールでは許されんから。お前も経験者だからわかるやろ」
再々チャレンジ
「ペダルもっとはよ踏めや」
こんな感じで…東堂先生からのレッスンは2時間続いた。
終わってから、家に帰るとピアノの音が聞こえた。
「ただいま」
「おかえりー」
母と、生徒さん。
聞くに堪えない…そんな生徒さんの演奏は、まるで全て失った時の私の演奏みたいで吐き気がした。
驚くほど広い私の家。
リビングに1台のピアノ。
防音室にもう1台のピアノ。
生徒さんが来ていても、防音室は私専用の練習室。
東堂先生に叱られたところに気をつけて練習を繰り返した。
夕方、母のレッスンが終わって母が防音室に来たときには私はピアノ椅子に座って寝ていた。
母に起こされてやっと気づいた。
「美音はコンクールの曲決めたの?」
「月の光にしたの。」
「好きだもんねぇ〜。まぁ頑張りなさいねー」
「待ちなさい…お母さん。2週間前に勝手にエントリーしておいて頑張れはないでしょうよ!特別レッスンくらいしてよね!」
「うっ、はい。」
扱いやすい母にレッスンしてもらった。
そして、そのレッスンは夜中まで続き…私は見事…次の日寝坊した。
ピアノコンクール地区予選 当日。
事前に決めた出演番号。
わたしは最後から2番目で、もう半分くらいの出演者が演奏し終わった。
『やばいよ!ダメかもしれない…』
ネガティブな女子の発言。
『俺が金賞に決まってる』
根拠もないだろう自信満々な言葉を言う男子。
うるさい待機室。
私には別に緊張も自信もない。
ただ、楽しむ。繁華街通いをやめた日から決めていたことだから…ちゃんとやる…それだけのこと。
まぁ…とりあえずおさらいしておく。
東堂先生に叱られたところは赤の字、母からは青の字。
いっぱい書いてあってわかりにくい。
「…番 吉岡美音さん!出番です!」
「はい。」
たっぷりおさらいした月の光。
今日は父も母も来てくれていた。
いつもなら来ないはずなのに…。
それに、父の知り合いも来ている。
失敗は許されない。
お父さんの…
顔に泥も塗れないし…。