彼方の蒼
 2時間目開始のチャイムと同時に、教務室の戸を開けた。
 蛍光灯の下、並んでいる机にはほんの数人の先生の姿しかなくて、僕の探しもとめる人はいなかった。

 入り口からいちばん遠い席にいた理科の山口先生が僕を見た。注意されるより先に、僕はとうとう言ってしまった。
「倉井センセが妊娠しているって本当ですか?」 
 そこにいる全員の視線が僕を貫いた。
 それが答えらしかった。倉井先生は妊娠していて、そのことは周知の事実で……僕は……僕は……。

 教室に戻りなさいとか授業中だとかそんなことはありえないとか、いっぺんに複数の人間に言われたって困る。それでなくたって、どうしたらいいのかわからないのに。
 ぽんと肩を叩いた人がいて、見ると教頭先生だった。
「倉井先生は私たちにまだなにもおっしゃっていない。今、校長が事情を聞いているところだよ」
 教務室にいた6人の先生すべてが僕を取り囲んだ。

 教頭先生は言った。
「倉井先生の口から話を聞くまで、軽率な発言は控えようじゃありませんか。私たちも心配しているのです。力になりたいとも思っています」
 他の教師たちはびっくりしたような顔を教頭先生に向けた。僕も意外な気がした。
「それって、辞めさせないってこと? 妊娠していても? 結婚まえの妊娠でもですか?」
 教頭先生は頷いた。


 中学3年生の2月――受験シーズン真っ只中だ。堀芝サンみたいに私立に合格した人もいれば、カンちゃんみたいに公立の推薦入試をしあさってに控えた人もいるし、僕みたいにやっと志望校を絞り込んだヤツもいる。 
 もし本当に赤ん坊ができていたとしても、卒業まであと2ヶ月もないのだから、このまま担任を続けてもらったほうがいい。
 今さら新しい先生をよこされたって、よろしくお願いしたい気持ちになれない。
 ましてや僕は倉井先生を好きなんだから、担任でいてほしいと切に願う。
< 51 / 148 >

この作品をシェア

pagetop