彼方の蒼
 教頭先生だけは僕と同じ目線でモノゴトを見ているらしかった。
「倉井先生もこの時期、こんなふうに渦中の人になるなど、おそらく不本意でしょう。お辛いはずです。心中を察してあげようではありませんか、ねえみなさん」

 こんなふうに穏やかな微笑みで呼びかけられたら、他の先生たちだって引きさがるしかない。
 それでも僕に『早く教室に戻りなさい』と吐き捨てるように言い、それぞれの席に帰っていった。
 教頭先生が僕だけに聞こえる声で、ささやいた。
「受験間近でみんなが神経質になっているだろうから、気をつけてあげてください」
 あれっと思った僕が尋ねようとしたら、それよか早く答えが返ってきた。
「他のなによりも倉井先生が気がかりだと、君の顔に書いてあります」


 教頭先生はああいう言いかたをしたけど、少しも慰めにはならなかった。
 校長と話し中ってことは、もう妊娠は決定的じゃないか。
 僕たちが卒業するまで、倉井先生は先生でありつづける――それだけじゃ、僕にはたりないんだ。そこんとこ、教頭も、教務室の先生たちも、わかっていない。
 倉井先生に会いたい。会って、じかに声を聞きたい。話を聞きたい。


 校長先生との話を終えた倉井先生が、教務室の自分の席につくとはどうしても思えなかった。僕は美術準備室で待つことにした。授業はとうにはじまっているけど、どうでもよかった。
 
 準備室に設置されているヒーターは、つまみを強にしても弱のままでも、変わらぬ温風を送りつづけている。カーテンを引いたら、びっくりするほど室内が暗くなった。
 電気をつけた。パイプ椅子をヒーターのまえまで引き寄せ、逆向きにまたがった。背もたれに突っ伏して、重ねた腕にあごを乗せる。低くうなるモーター音を聞く。

 ――僕の子供?
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