彼方の蒼
僕はすごすごと引きあげた。なぜか美術準備室へ。
音楽室で歌う心境じゃないし、誰もいない自分の教室で自主学習する勤勉さはもともと持っていない。
部屋の電気はつけなかった。ヒーターに手をかざし、ポケットを探った。
活用できたのかいまいち不明の携帯で、カンちゃんに状況報告メールした。
カンちゃんが今どこで誰となにをしているのかなんて、当然考えるはずもなく。
◇ ◇ ◇
ところで、僕は今までカンちゃんが本気で怒ったところを見たことがない。
ケンカはした。しょっちゅうした。
幼稚園の芋掘り遠足でさつまいもの奪いあいをしたり、カンちゃんの両目にモノモライができたときにうっかり笑ってしまって(しかもその場にカンちゃんの好きな子がいて、その子も笑った)一週間口を利いてもらえなかったり、した。
昔から口げんかも殴りあいもカンちゃんのほうが強かった。
口げんかはともかく、体を張ってのタイマン勝負は、今となっては完全にかなわない。
カンちゃんが柔道やってるから? 体格の差? ――それだけじゃない。
このあいだだって、卓球やってボロ負けした……引退したとはいえ、僕は卓球部副部長だったのに。
後輩のまえで完敗。立つ瀬なし。
カンちゃんは強い。僕はいろいろ弱い。わかりきっている。
それでも、立ち向かわなくちゃいけないときがあるんだ。
◇ ◇ ◇
四時間目終了のチャイムを聞き終えても、倉井先生は美術準備室には来なかった。
僕は教室に戻ることにした。
3年1組の入り口のところで、カンちゃんが僕を待っていた。
「ちょっと、いいか?」
カンちゃんが真面目な顔をしていた。
なにごとだろうと僕は警戒した。
入り口の戸が開けっ放しだったので、弁当を食べている女子から寒いと苦情が来た。
戸を閉めて、通りかかるクラスメイトたちの邪魔にならない壁際に移動し、なんとなく向かいあった。
無駄な前置きはいっさいせずに、カンちゃんは本題に入った。
「子供を堕ろすように頼んできた」