彼方の蒼
 カンちゃんは僕をじっと見つめていた。

「は?!」
 僕は混乱した。混乱したまま、聞いた。
「いつ!?」
「ハルとの電話の最中だった。先生は保健室にいた」
「ぐ、具合……」
「体調不良ってわけではなさそうだった。この時期にしては珍しく、風邪で寝込んでいる生徒もいなくて、内緒話には好都合だった。ま、おれはハルよりさきに先生見つける自信があったんだけどな」

 それはどういう意味だろう。
 一度も疑ったことのない考えが、頭をよぎった。
 そんなのって、あり?
 カンちゃんも、倉井先生が好きなのか?

 僕は黙って、カンちゃんの言葉を待った。
「先生は、どうしても産むって言ってきかなかった。結婚しなくてもいいって言った。けど、ハルのこと見てたら……子供さえいなけりゃ、うまくいく気がしてさ……」

 ――子供さえいなけりゃ?
 頭のなか、真っ白になった。

 続きがあったけど、ろくに耳に入らなかった。音らしい音が消えた。それに、光も。
 極端に狭くなった視野のなか、カンちゃんの存在だけを意識していた。

 気づいたら、カンちゃんを殴ってた。僕はなにか叫んだ気がする。カンちゃんも殴り返してきた。怒声。悲鳴。ガラスの割れる音。戸口を背中に、体にかかる重圧。顔に何発かまともに食らった。気が遠のくくらいの痛み。


 男子がカンちゃんを3人がかりで取り押さえていた。
 僕も羽交い絞めにされていた。僕のほうが一方的にじりじりと無理矢理後退させられた。僕が引かなきゃいけないようで、胸くそ悪い。

「おれは……」
 息を弾ませながら、カンちゃんが言った。僕をにらんでいるのかと思いきや、なんだか泣きそうな顔だった。
「お前が……なに考えているのかわかんねえよ。頼むよ……頼むから言ってくれよ……」

 僕も肩で息をしていた。向かっていく力がなえていき、後ろから拘束する腕もなくなった。

 急にまわりが見えてきた。
廊下には大勢の生徒が人垣を作っていた。箸を持ったままのヤツもいた。
 涙ぐんでいる女子もいた。自分が痛い目に遭っていると錯覚したのかも知れなかったし、怖かったのかもしれなかった。そのなかには堀芝サンの姿もあった。
 僕はばつが悪くなって、目を逸らした。


 みんなが僕らを見ていた。
 なぜか3組の元保健委員長がその場をしきり、僕とカンちゃんを保健室へ連行した。付き添いと呼べるものではなかった。
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