彼方の蒼
保健室では、養護の石黒が白衣を椅子にかけているところだった。
これからお昼にするつもりだったんだろう。
倉井先生はいなかった。
たとえいたって、会わせる顔がない。たぶん今の僕は傷だらけ。
いや、それよりも――。
ここへの道すがら、ドクンドクンという脈のリズムで殴られた箇所が痛んだ。
血が通っていると実感した。
そのとき突然、僕はある事実に思いあたった。
――計算が合わない。
僕と倉井先生のあの夜は先月のことだ。
なのに妊娠3ヶ月だという。
それって、相手は他にいるってこと?
ぐらりと世界が暗転した。
だいじょうぶかとかたわらの面倒見のいいクラスメイトが聞いてきて、僕は生返事した。まえを歩くカンちゃんが、ほとんど傷のない顔を半分ちらっと向けた。
カンちゃんじゃない。カンちゃんは関係ないと思う。純粋に僕を心配してくれたんだと思う――ずいぶんと出すぎたマネだったけど。
保健医の石黒は、僕とカンちゃんに殴り合いの原因を聞いてきた。
僕はもちろん言わなかったし、カンちゃんも黙っていた。カンちゃんの傷のほうが軽かったので、治療がさきに終わり、無言で出ていった。僕もおとなしく、オキシフルやら軟膏やら、塗られるがままになってた。
「俺の子だ」
唐突に石黒は言った。けど、僕にはそれだけで話が通じた。
倉井先生のお腹の子供――父親は保健医の石黒。
僕は、驚きがないことに驚いた。
「そうですか」
僕は言った。口の中を切っていたから、血の味がした。血の味の言葉だった。
「だけど、なんで僕にそんなことを言うんですか?」
石黒は言った。
「君には知る権利があると思って」
なにをもったいぶっているんだか。
僕はおかしさを懸命にこらえた。
傷の痛みで顔をゆがめたみたいに見えたかもしれないし、見えなかったかもしれないし。