彼方の蒼
 座っていた石黒が体勢不十分だったとはいえ、完全に吹っ飛ばされた。ベッドのパイプ部分に体を預ける格好になる。

「……いいの? 教師が生徒、殴っちゃって」
 痛いんだか熱いんだかわからない左側のこめかみ。
 今の衝撃で脳髄までぐらんぐらんしている。
 やせ我慢もそろそろ限界。
 なんでもなかったふうにしたいから、顔に手をやったりなんかしないけど。
「今さら傷がひとつふたつ増えたって、誰も怪しまないだろう」
「それもそうだね」

 なんでこの状況で軽口が叩けるのか。
 やっぱあの納豆オヤジの息子だからか?
 父さんのことを考えて、少しだけ表情がゆるんだのかもしれない。


「だいじょうぶか?」
 おとなしくなった気配を察したのか、石黒が僕の顔をのぞきこんできた。 
 立つに立てない妙ちきりんな姿勢の僕は、気持ちまで妙ちきりんになった。
「は? あんたが殴ったんだろ」
「それはそうだが……」
「僕がこのあと昏倒しても、誰ひとりあんたのせいにしないから、安心していいよ」
 そうだ。ここでくたばったら、カンちゃんに迷惑がかかる。
「それはまずい」

「は?」
 今度は石黒のほうがパードン? って感じ。
 だいじょぶだいじょぶ。殴られても、スペルはちゃんとおぼえてる。
 ピーイーアールディーオーエヌ。
「ほらね」
「おい、惣山?」
「なんでもないんだ」
 石黒が手を貸してくれた。
 僕は立った。
「それよりせんせ」


 一瞬、目のまえがなにも見えなくなった。
 耳が変。モワモワっとしてる。
 膝にうまく力が入らない。体が重い。

「言いかたきつくてごめん」
 僕は謝った。石黒がぎょろ目を向けた。血走った目が。気持ち悪くって。
 吐き気がしてくる。
「でも嘘は言ってない」

 言葉といっしょに。胃液まで。吐きそう。
 肩を貸してもらう。そろりそろりと移動。振動が脳神経に触れる。
 マジ、気持ち悪。
 視界も悪い。チカチカ。なんか飛んでるし。

「……だな」
 声が遠くて。
「え? なに?」
 聞き返した僕の声。
 も、遠くて。

「……」
 石黒の答え。全く。聞こえなかった。

 足が見えた。靴。ベージュの。女性モノの。


 あ。
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