彼方の蒼
 夜の病院は、想像していたよりもずっと静かだった。
 誰かがどこかで絶対に活動しているはずなのに、静まり返っていた。

 聞こえるのは、僕が作りだす衣擦れの音とスリッパの足音のみ。
 存在感、ありまくり。
 僕は忍者やスパイにはなれそうにない。
 

 似たようなことが、まえにもあった。
 母さんに絵を描くことを禁止された僕が、カンちゃんにヘルプを申しでて、画材一式を夜の学校へ持ち込んだっけ。
 夜の学校も、ここと同じくらいひっそりと静まりかえっていたけれど、緊張感はなかった。
 誰かに見つかっても逃げきれると思ったし、笑い話にもできる気がした。

 僕は10円玉を握りしめ、息を潜めて、気配を殺して、病院内を歩いた。
 エレベーターは使わない。階段のみ。

 目指すは一階。公衆電話。
 たぶんあると思うんだけど……そういや僕、病院の名前さえ知らない。



 緑の公衆電話は3台並んでいた。
 周囲に人気がないか、見まわしてから、銅貨を投入。
 記憶の底からカンちゃん家の電話番号をサルベージ。
 呼びだしコールがはじまる。

 ――夜中にかける電話。非常識かな?
 急に心配になってきた。

 カンちゃんは僕のせいで停学になった。推薦入試もできなくなった。
 もしかしたら、僕の声なんて聞きたくないかもしれない。

 それに、カンちゃんだけじゃない。
 カンちゃんの両親も、息子をトラブルに巻き込んだ諸悪の根源である僕となんか、縁を切りたいと思っているかもしれない。
 
 体が冷たくなっていくのを感じた。
 受話器を置こうかと思った。迷った。
 それでも、できなかった。
< 71 / 148 >

この作品をシェア

pagetop