彼方の蒼
『もしもし、小柳です』

 声が聞こえた。
 カンちゃんなのか、お父さんなのか、よくわからなかった。

 僕ももしもしと言ってみた。――留守番電話だった。がっかりした。

 でもせっかくだから、できるだけのことをしようと思った。
 僕は発信音がやむのを待って、言った。

「カンちゃん。僕です。春都。僕はだいじょうぶです。あさってには退院します。今、病室抜けだして、公衆電話からかけてます。携帯の番号は覚えていないから、家に直にかけてみた……」

 言葉につまった。時間がないのに。言いたいことはこれだけ?

「謝りたい、すごく。でも、ほかにも話さなきゃいけないことがあるから……。今は気持ちの整理がつかないんだ。気持ちというか、言葉というか、また誤解を招きそうだし……10円分しか喋れないし……」

 ブザーが鳴った。残り時間がない。

「カンちゃんと話したかった! どうしても! 先生の番号知らないからじゃないよ。それしかなかった!! 考えられなかった!! だから……だから……」


 電話が切れた。

 僕は肩で息をしていた。そんなに大声を出したつもりはなかったのに。
 ……どこまでカンちゃんに伝わっただろう。
 抱えていた不安は、そのまま僕の胸に留まっている。

 いっそこのまま病院を抜けだそうかと思って振り向いたそこに、ひっつめ髪ナースがいた。
 驚いたのなんのってもうやめてくれよこういうのは!!

「こんばんは」
 悔しいから表情には出さずに言ってやった。
 そんな努力をしても、顔のガーゼがそのほとんどを隠してしまうから無駄なんだけどな。

 ナースは言った。
「もういいの?」
 おや、てっきり怒られるかと思ったのに、違う展開?
「もういいです」

 しかしながら、いくら僕でも、見張りつきで倉井先生にTELはできない。
 余計な詮索もお説教もごめんだから、足早に退散します。
「おやすみなさい」

 ところが、階段の手前で回れ右をせざるを得なかった。
 ナースは巡回時間だったらしい。懐中電灯を持ち、6人部屋から出て僕を見るなり、まだいたのって顔をした。

 僕はできるだけ平静を装って、堂々と言った。

「あの……僕の病室って何階でしたっけ?」
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