彼方の蒼
 僕が明日退院すると告げると、堀柴サンは逆に、学校にはいつから出てこられるのかと聞いてきた。

 僕は不思議に思いつつ、答えた。
「え? 退院したらすぐにでも」
「その顔で!?」
 嫌な反応だね。

「じゃ、来週からにする」
 さっきトイレで鏡を見たけど、顔の傷、そんなにひどいとは思わなかった。
 美的感覚が麻痺しているのなら、そっち方面もついでに治してもらおうかな。


 翌日。僕は退院するとすぐに、シャワーを浴びて着替えてケーキの手土産持って、カンちゃん家へ向かった。

 カンちゃんの家は八百屋だ。
 午後1時、惣菜を買う主婦の相手をしていたカンちゃんのお母さんが、ふとこちらに目を向けた。驚いたような顔。

 僕は退院直後の人間とは思えないくらい元気な声を腹から出した。
「おばさん、こんにちは! カンちゃんいますか?」
 停学期間最終日だから、いるはず。

「春都くん。あんた、もういいの?」
「おじゃまします!!」

 おばさんはなにか言いたいことがいっぱいありそうだったけど、僕は無視してそのまま家に上がりこんだ。
 階段上ってふすまを開けようとした。

「ハル、おまえ……」
 ふすまは内側から開いた。
 カンちゃんがそこにいた。

 僕は開口いちばん謝るつもりだった。
 なのに、全然違うことを口にしていた。
「どうしたんだよ、そのひげ!」
 僕はぼう然とした。


 無精ひげを生やしたカンちゃんは、急に老け込んだようにみえた。
 意味もなくジャージの袖口をめくりながら、
「入れや」
と、僕を部屋に招きいれる。

 カンちゃんの部屋は、足の踏み場もないくらいに散らかっていた。
 コンビニの袋、弁当のカラ、スナック菓子の空袋、ペットボトル……。

 男のひとり暮らしなら、こういうこともあるだろう、たぶん。
 でも几帳面なカンちゃんに限って、これは……。
「カンちゃん。これは?」

 僕が感情を抑えて聞くと、カンちゃんはあごを指でかきながらつぶやいた。
「親と冷戦中だ」
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