印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
日本脱出
65年にはベンチャーズ、66年にはビートルズが来日し、
69年には、全学連が東大安田講堂を占拠し、
70年には三島が自衛隊市ケ谷で割腹自殺した。
バンドブームと学生運動が火をつけたのか、俺等の意識は
”俺等が世の中の中心だ”と思うようになっていた。
戦争に負けて命からがら復員し、日本を復興させた親父達
からみれば、俺等は手に負えない馬鹿野郎の子供達であった。
しかし親父達は、戦後の価値観の大逆転に戸惑いながらも、
これからきっと戦争の無い時代に生きるはずの子供達に、
羨望と嫉妬をもって未来を賭けた。
1972年3月。 俺は21だった。
御茶ノ水に、新宿に、阿佐ヶ谷に長髪ジーパンがうろうろし、
世はベトナム景気。もう、テレビの無い家は珍しくなっていた。
大森 実の「何でも見てやろう」
五木寛之の「青年は荒野を目指す」
ビートルズの「ツイストアンドシャウト」
この三つをバイブルとして、赤軍派の終焉、
浅間山荘の殺人実況TV中継を横目で観ながら、
日本を脱出した。