印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1972年10月14日(土)

あっ、きのうは13日の金曜日だったか。
別にどうってこたあねえが・・・。

ミミのロンドン二日目の朝が明けた。

朝日の中、目も真っ赤にしてアパート帰った。
3人ともフラフラ。3分で爆睡。


起きたら、靴履いて寝てた。
大将の顔の横に、缶ビール空き缶がころがり、
ミミは俺の寝袋に包まってヨダレ。

おおい、起きようぜ、もう昼だ。

「う~、よく寝た。コーヒー飲みてえ」

お茶しかねえよ。俺がコーヒー飲まねえの知ってんべ。
飲みたきゃミミ、自分で買ってこいよ。 

「えええ?だって買いもんなんかできねえじゃん。
英語できねえしさ、一緒に行ってよ、なあ」 

お前さ、そんなこと言ってたら暮せねえよ。

ちょっと先輩面して言ってやった。へへ。

棚から欲しいもん取って、レジで金払えばだいじょぶ。
なんにも喋んなくてだいじょぶ、問題なっし。 へへ

「だってよ、場所もわからねえし・・」 

じゃしょうがねえ、一緒に行くか。
お前の為に行ってやるよ、コーヒー買いにさ。へっへ

そりゃ無理もねえ。昨日着いたばっかしで、右も左も
わからねえし、ポンドもシリングもわからねえしな。

ポルトベロで瓶の粉コーヒー買って帰り道。

ミミよ、ロンドン来たんだ、何でも自由に好きにやれるぜ。
でもさ、他人は頼らねえって大事だぜ。

なんて説教じみた話しながら、アパートに戻った。

「こっちのパンてさすげえ旨いな。店員も可愛いじゃん。
パツキンでよ。俺あの店で毎日買うかな。 ひっひ」 

ミミは、はなっからここに住むつもりで来てる。幸せだぜ。

俺は日本出てからこのアパート見つけるまで、色々あって
結構楽しかったぞ。

まあ、奴の感動まで世話する訳じゃねえから、いいけど。


翌日、ミミを連れてリージェントやアールズコートの
日本人のたまり場を一応見せた。

大将はNY準備で、大使館や郵便局へ行った。

夜はマーキーで合流して三人で一杯やった。
きょうは只の日でJSDバンドだった。

「ねえ、あのベースのリズムやばいよな。
ロンドンにもこんなバンドが居るんだな」 

そうよ、ロンドンのバンドだってピンキリよ。
でも層の厚みが違うな。
ミュージシャンも聞く側も、わんさか居る。

長髪も音楽もビートルズが出て来て変わったわって、
ミセスケンも言ってた。イギリスも変わったんだ。

さあ、早めに切り上げて今夜は大将の送別会だ。


カリフラワーメインの肉無しのスキヤキ。
大将とウエールズで食ったごった煮でパーティー。

ビール党の大将の為に、缶ビール40本買い込み、
段ボールにいれてベランダの外に出して冷やした。

冷えたビールは1割高え。日本は冷えてて当たり前、
コックニーは平気で生ぬるいビールを飲むけど。


じゃ大将、元気で気を付けてな、乾杯しよ。

「お前NY来いよ。月2千ドル稼げる。NYで稼いで
ヨーロッパやインド行く、これが最高なんよ」 

二千ドルかよ! すげえな。

「ドヤに住んでレストランで皿洗って、食費はかからん
貯まるだけ。俺はマンハッタンの真ん中のドヤにいる。
いつでも来いよ、待ってる」

おお、じゃあ乾杯だ!


10月17日。米軍ザックひとつでNYへ発つ大将。
 
ミミとビクトリア駅まで見送りに行く。

「じゃ元気でな。世話んなったな。NYで会おう」

大将はNYへ発った。かっこいいね。


帰りにミミとハイドパークをぶらつきながら、言った。
 
コンサート行ってバンド観て、金あるうちは色々遊んだ。
俺、千ドルと20万持ってきて、残りあと三百弗くらいよ。 
そろそろ稼がねえとな。

「家賃は?」

ひとり週4ポンドだ。

「月16ポンドか、食費は?」

そりゃお前、何食うかよ。俺は大体30くらい使う。
コンサートで10ポンドくらい使うかな。

「結構物価高えな。日本じゃ3万でいけた。
アパートは5千円だしな、風呂はねえけど」

ばかやろ、俺が探してやった四畳半だろ。
古いし風呂無し、安いに決まってるべ。

「お~っひっひ、あんときゃ世話んなった」 

今もだろ。っはっは。

 
ミミ、俺よ・・・NY行くぞ。

「ええ!じゃあ俺ひとりでここに住むの?」
 
まあな。 旅が面白くなったのよ。
色んなとこ行ってみてえし、何でもやってみてえ。

「そうか。ほんなら俺も頑張んなきゃな」

そう、いいチャンスだ。一人でやれよ、俺は我儘だ。


それから1週間ほど、NYのチケット探しのついでに
ミミを連れてめぼしい所を回った。 

ピカデリー、チャリングクロス、ビクトリア、
トラファルガー、バッキンガム、キングスロード。

ジョンの家、ポールの家、アビーロード。

そしたら奴の風邪が移ってダウン。
男二人で1日中寝てる・・・情けねえ。


手紙書いたりラーメン作ったり、そうこうしてたら 
俺の我儘病が・・・でた。

いちいち、ミミのしぐさや言葉が気に障る様になる。
こうなると、もうヤバイ。

翌日、いいタイミングで作田君が来てくれた。
下宿に、日本から俺に荷物が届いたんで、わざわざ
持ってきてくれた。 あんがと。

三人でノッティングヒルに出て飯食って、気は紛れた。


夜、日本からの荷物を開ける。

お袋の長い手紙と家族の写真と、万札1枚!

冬用の分厚いセーター、親父の黒コートと正露丸に腹巻。
ももしき、靴下。 親心ってやつ、ありがてえ。

久々に 家に手紙書いた。




翌週、熱が下がった。

現金230ドルとチェック100ドル。そろそろやばい。

テレコや着る物を売ることにして、ポルトベロでミミと
地べたに座って寒い中6時間。
な~んも売れず、また風邪がぶり返した。あーあ

部屋に帰って熱いお茶飲みながら、ミミが言った。

「お前さ、少し貸そうか?俺まだ千ドル以上あるし、
今回世話んなるしさ」 

ええ! お前そんな持ってきたのかよ。
 
「俺は2千ドル持ち出せたよ」 

なんだ、半年でそんなに変わったのか。

しめた!気の変わらねえうちに借りとくか。
200ポンド分のドルを借りた。ありがとさんミミ。


 
さて、じゃあまず安いチケット探し。

ピカデリーのチケット屋は高えし、小さいエージェンシー
は信用できねえし、直接航空会社に行ってみる。

BOAC、PANAAM、JAL。3社とも同額。
NYまで72.95ポンド。
それ以上負けねえ・・・こいつ等グルか。

しょうがねえ、日本人だしJAL使うか。

1年オープンのリターンチケットを買った。

よっし、でも少しでも金が欲しい。
おっ、クマが行ったパディントンの質屋だ。

テレコ12£、時計3.5£で売れた。
イラン人のおやじは話がわかる。ヒッピーにも優しい。

ミミとピザで質屋に乾杯。

今度、ミセスケンに挨拶に行くけど一緒に来いよ。
紹介しとくよ、何かあれば役に立つぞ。

俺が最初にロンドンに来て拾ってくれた恩人だ。
典型的なイギリスのおばさん。英語も教えてくれる。

「そうか、じゃ頼むよ」 

ミミ、やっと一人になる実感がきたか。
 
まあ、金も借りたし少しはゴマすっとこ。

パディントンのチケットオフィスで、ミミの好きそうな
コンサート選んで2枚買った。

29日のハンブルパイ。


帰りにJALでNY行きを10月31日で予約した。
 
よっし完璧! 行ってやんぞーニューヨーク!




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