印毎来譜 「俺等はヒッピーだった」
1973年2月7日
10時起きてフロント行って最後の手紙チェック。
ええっ!メリーから来てるじゃねえか。
ミネソタに遊びに来いって、会いたいって。あー
イタ公ばばあ、なんで早く言ってくんなかったんだ。
・・・まあしょうがねえ・・・運命かな。
明後日ロンドン帰るんだって返事書いた。
会いたかったよお~ うわあー。
ロックフェラーセンター1階の郵便局へ行く。
そういやあNYのきっかけくれたアンのお袋は、ここだ。
ロックフェラーセンターだった。
挨拶もしねえで不義理だった。ごめん。
ロンドンと日本に荷物送った。船便12ドル。
スケートセンターは原色のセーター、派手なジャンパーが
グルグル回って満員だ。平日だってえのにヒマな奴等。
部屋帰って片付け。このドヤにまた次の奴が来る。
カレンダーの裏にwe can work it outの歌詞なんか書いて、
俺が居た証しだ。犬のションベンみたいなもんだ。
夕方、缶ビール持って各部屋回った。
俺、明後日ロンドン帰ります。お世話んなりました。
ロンドン来たら俺んとこ寄って下さい。
いつでも泊まれますよ。
社交辞令じゃねえ、本心だ。皆のお陰で死なずにすんだ。
「ジーザス、スネアどうすんの?」
お前にやるよ。憂さ晴らしに思いっきり叩たけよ。
「ひっひ、そうだな。悪いなジーザス」
ジーザスってのは俺のこと、大将が付けた。
初めてNY来た時、ポスターが街中にあった
Jesus christ superstar。 ブロードウエイの大看板。
髪の長さが似てただけで、ジーザスになった。
先輩達も可愛がってくれた。ありがとございました。
そもそもNY行きは大将がきっかけだった。
去年、ウエールズの山道で偶然会ったのが運のつき。
お互い韓国人と思ってたら「なんや、しんどいな」
それで日本人だって分かった。
「お前な、NYで稼いでヨーロッパで遊ぶ。そんでまた
NYで稼いでインド行く。 NYは物価も世界一、でも
稼ぎも世界一だ。 行くならドヤも仕事も紹介する」
大将も大学中退。ちょっと家業を継いだが、何かのきっかけ
で日本を飛び出した。
一旦出ればあとは好奇心と体力だけ、恐いもん無し。
俺も皆も同じだ。バンコーはそういう奴等の吹きだまり。
風邪で寝込んだ時薬くれた奴、
キッチンで板さんとの喧嘩仲裁してくれた奴、
ホモ野郎にせまられたセントラルパーク。
立ちションベンしながら逃げたハーレム。
チャイナタウンの日本語娘。42丁目の立ちんぼ。
なんか、すっげえ昔のことみてえだ。
今までで一番濃い3カ月だった。
「次、いつ来るのさ」
わかんねえ、俺インド行きてえんだ。
日本出るときゃ考えもしなかった、インド。
今はもうその気。色々聞かされた。
バンコー住人の半分以上がインド経験者。
インドとニューヨーク、世界の双璧だって。
ぜーたい行ってやるぞ、この貯めた金で。
バンコー病が俺の脳味噌に万延した・・・やってやる。
2月8日 寒い。部屋で旅の準備。
クマさんの中東インド情報ルートやエアーや安宿や飯屋の
ノートを写させてもらう。もう気分は中近東インドだ。
夜1110号室。一番長く居た部屋で送別会。
プリンスもクマさんも、Mさん、佐倉、中尾君、モロちゃん
達が来てくれた。みんなで住所交換し再会を約して乾杯。
きょうはみんなの驕りだって。ありがとさん。
ピザ、ビール、日本酒、ウイスキー、ラーメン、おにぎり、
せんべい、梅干、江戸むらさき。なんでも出てくる。
そうだ、餅だ、電話するか。
クイーンズで世話になった餅の○○づめ。
カッさんに電話してNY出ることを伝える。
「そうか、元気でな。また会おう」
初めての子供が生まれるって。
NYに根をおろして商売してるカッさん、すげえ。
俺みたいなヒッピー使ってくれて本当にありがとです。
けごんもニッポンも、チキテリも江戸もみかども、
けやきもカメハチもベニハナも、ありがとございました。
誰かが最後の草だってくれたが、ここはこらえた。
ラリ残ってエアー逃す訳にゃいかねえ。
3時頃まで飲んで騒いで、バンコー最後の夜。
窓の外は摩天楼。
来れなかった松本と片倉や宮原にもよろしく伝えてくれ。
2月9日(金) 久々にすっきり晴れた。皆は仕事だ。
これでお別れだ。「死ぬなよ」「またどっかで会おう」
東京銀行に行き、チェック10ドルを現金にした。
空港で払う金が要る。高い。
そんで、例のピザ屋。これが最後だ。
イタ公の親父は居なかったが、アミーゴ野郎が「マイド!」
よお、きょうはスパゲティくれ。
ここじゃピザしか食ってなかったけど、最後だしな。
旨い! 兄ちゃん親父によろしくな。
俺、今日ロンドンに帰るぞ。
「グラシアス アミーゴ!」
そうか、俺がどこ行ったって関係ねえもんな。はっは
アディオス! アミーゴ
部屋に帰りシャワー浴びて一服。
壁にお礼の一言書いて軽く掃除。
3時、同室の佐倉にさよならして最後だ。
ロビーじゃきょうも新入りがうろついてる。
きょうついたの?
「はいそうです」
902が空いたから行ってみな。
「あっ、本当ですか。ありがとございます。ずっと待って
たんですよ。 仕事もありますか」
はっはっは、ばかやろ。仕事はてめえで探せ。頑張れよ。
hotel vancortlandt 日本人ヒッピーのドヤ。
夢と希望と地獄と天国。あと何年続くんだろか。
38丁目のバスターミナルまで歩く。懐かしい道だ。
来た時は意気揚々、きょうは負け犬か・・・。
3ドル50も払って空港バスに乗った。
橋渡るとあのクイーンズが見える。餅ついたクイーンズ。
そんでマンハッタン島。遠くから見るとなかなかいい街だ。
まさかこのマンハッタンのど真ん中に、出稼ぎ日本人が
ゴキブリみてえに住みついて皿洗ってるとは、お釈迦様でも・・・
5時すぎ、ケネディエアーポート着。出国税3$、高え。
7時発パンナム機乗り込み。
みなさーん、ありがとございました。
俺はロンドン帰りまあすよー!
さいならー また来る..かもな・・・。
10時起きてフロント行って最後の手紙チェック。
ええっ!メリーから来てるじゃねえか。
ミネソタに遊びに来いって、会いたいって。あー
イタ公ばばあ、なんで早く言ってくんなかったんだ。
・・・まあしょうがねえ・・・運命かな。
明後日ロンドン帰るんだって返事書いた。
会いたかったよお~ うわあー。
ロックフェラーセンター1階の郵便局へ行く。
そういやあNYのきっかけくれたアンのお袋は、ここだ。
ロックフェラーセンターだった。
挨拶もしねえで不義理だった。ごめん。
ロンドンと日本に荷物送った。船便12ドル。
スケートセンターは原色のセーター、派手なジャンパーが
グルグル回って満員だ。平日だってえのにヒマな奴等。
部屋帰って片付け。このドヤにまた次の奴が来る。
カレンダーの裏にwe can work it outの歌詞なんか書いて、
俺が居た証しだ。犬のションベンみたいなもんだ。
夕方、缶ビール持って各部屋回った。
俺、明後日ロンドン帰ります。お世話んなりました。
ロンドン来たら俺んとこ寄って下さい。
いつでも泊まれますよ。
社交辞令じゃねえ、本心だ。皆のお陰で死なずにすんだ。
「ジーザス、スネアどうすんの?」
お前にやるよ。憂さ晴らしに思いっきり叩たけよ。
「ひっひ、そうだな。悪いなジーザス」
ジーザスってのは俺のこと、大将が付けた。
初めてNY来た時、ポスターが街中にあった
Jesus christ superstar。 ブロードウエイの大看板。
髪の長さが似てただけで、ジーザスになった。
先輩達も可愛がってくれた。ありがとございました。
そもそもNY行きは大将がきっかけだった。
去年、ウエールズの山道で偶然会ったのが運のつき。
お互い韓国人と思ってたら「なんや、しんどいな」
それで日本人だって分かった。
「お前な、NYで稼いでヨーロッパで遊ぶ。そんでまた
NYで稼いでインド行く。 NYは物価も世界一、でも
稼ぎも世界一だ。 行くならドヤも仕事も紹介する」
大将も大学中退。ちょっと家業を継いだが、何かのきっかけ
で日本を飛び出した。
一旦出ればあとは好奇心と体力だけ、恐いもん無し。
俺も皆も同じだ。バンコーはそういう奴等の吹きだまり。
風邪で寝込んだ時薬くれた奴、
キッチンで板さんとの喧嘩仲裁してくれた奴、
ホモ野郎にせまられたセントラルパーク。
立ちションベンしながら逃げたハーレム。
チャイナタウンの日本語娘。42丁目の立ちんぼ。
なんか、すっげえ昔のことみてえだ。
今までで一番濃い3カ月だった。
「次、いつ来るのさ」
わかんねえ、俺インド行きてえんだ。
日本出るときゃ考えもしなかった、インド。
今はもうその気。色々聞かされた。
バンコー住人の半分以上がインド経験者。
インドとニューヨーク、世界の双璧だって。
ぜーたい行ってやるぞ、この貯めた金で。
バンコー病が俺の脳味噌に万延した・・・やってやる。
2月8日 寒い。部屋で旅の準備。
クマさんの中東インド情報ルートやエアーや安宿や飯屋の
ノートを写させてもらう。もう気分は中近東インドだ。
夜1110号室。一番長く居た部屋で送別会。
プリンスもクマさんも、Mさん、佐倉、中尾君、モロちゃん
達が来てくれた。みんなで住所交換し再会を約して乾杯。
きょうはみんなの驕りだって。ありがとさん。
ピザ、ビール、日本酒、ウイスキー、ラーメン、おにぎり、
せんべい、梅干、江戸むらさき。なんでも出てくる。
そうだ、餅だ、電話するか。
クイーンズで世話になった餅の○○づめ。
カッさんに電話してNY出ることを伝える。
「そうか、元気でな。また会おう」
初めての子供が生まれるって。
NYに根をおろして商売してるカッさん、すげえ。
俺みたいなヒッピー使ってくれて本当にありがとです。
けごんもニッポンも、チキテリも江戸もみかども、
けやきもカメハチもベニハナも、ありがとございました。
誰かが最後の草だってくれたが、ここはこらえた。
ラリ残ってエアー逃す訳にゃいかねえ。
3時頃まで飲んで騒いで、バンコー最後の夜。
窓の外は摩天楼。
来れなかった松本と片倉や宮原にもよろしく伝えてくれ。
2月9日(金) 久々にすっきり晴れた。皆は仕事だ。
これでお別れだ。「死ぬなよ」「またどっかで会おう」
東京銀行に行き、チェック10ドルを現金にした。
空港で払う金が要る。高い。
そんで、例のピザ屋。これが最後だ。
イタ公の親父は居なかったが、アミーゴ野郎が「マイド!」
よお、きょうはスパゲティくれ。
ここじゃピザしか食ってなかったけど、最後だしな。
旨い! 兄ちゃん親父によろしくな。
俺、今日ロンドンに帰るぞ。
「グラシアス アミーゴ!」
そうか、俺がどこ行ったって関係ねえもんな。はっは
アディオス! アミーゴ
部屋に帰りシャワー浴びて一服。
壁にお礼の一言書いて軽く掃除。
3時、同室の佐倉にさよならして最後だ。
ロビーじゃきょうも新入りがうろついてる。
きょうついたの?
「はいそうです」
902が空いたから行ってみな。
「あっ、本当ですか。ありがとございます。ずっと待って
たんですよ。 仕事もありますか」
はっはっは、ばかやろ。仕事はてめえで探せ。頑張れよ。
hotel vancortlandt 日本人ヒッピーのドヤ。
夢と希望と地獄と天国。あと何年続くんだろか。
38丁目のバスターミナルまで歩く。懐かしい道だ。
来た時は意気揚々、きょうは負け犬か・・・。
3ドル50も払って空港バスに乗った。
橋渡るとあのクイーンズが見える。餅ついたクイーンズ。
そんでマンハッタン島。遠くから見るとなかなかいい街だ。
まさかこのマンハッタンのど真ん中に、出稼ぎ日本人が
ゴキブリみてえに住みついて皿洗ってるとは、お釈迦様でも・・・
5時すぎ、ケネディエアーポート着。出国税3$、高え。
7時発パンナム機乗り込み。
みなさーん、ありがとございました。
俺はロンドン帰りまあすよー!
さいならー また来る..かもな・・・。