紫の花、青の出会い
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『おまえは俺が引いた道の上を歩いてればいい。』
私の父親は昔からそう言う人間だった。
過去何度か将来なりたいものがあるのかと聞かれたことがあった。
小さい頃の私は自由奔放でいろんなものになりたがった。
バレリーナ、婦人警察官、画家、作家。
いろんな職業を口にしては、父親にその夢を打ち砕かれたものだった。
小学一年生の頃なんかはピアノやバレエやスイミングといった習い事をしていたけれど、それもほとんど父親の横槍の入れ方があまりに酷すぎてすぐにやめてしまった。
私の父は、人を認めない人間だった。
だから私は、私であることが許されなかった。
父親の決めた部活に入らなければダメ。
父親の決めた成績でなければダメ。
父親の決めた服装でなければダメ。
父親の決めた趣味でなければダメ。
好きでもない陸上部に半ば強制的に入れられて「おまえの走り方はバランスが悪い」「腕の振りが甘い」と聞き飽きるほど言われた。
行きたくもない真夜中のランニングに連れ出されて途中から疲れ果てて歩けなくなると怒鳴り散らされた。
私は、体を動かすことは好きだ。
好きだけど、真剣にスポーツに打ち込みたいなんていう人間じゃない。
父親もそれを知っているはずだった。
けれど父は、そんな“私”を認めなかった。
だから無理矢理にでも走らせた。
どうやら父は幼少期から運動神経が良く、大会に出ては表彰されていた大物だったらしい。
中学時代は陸上部のエースだったとか。
でも、それは父の話。
私にはもともと大会で表彰されたいなんていう目標を掲げる考えすら浮かばない。
父の中にある“理想の娘”を私に押し付けないで欲しかった。
私は、人形じゃない……!!!!
どんなにいい成績を取っても、どんなに周りに褒められたことを話しても
「俺はもっと良かった。」
「お前の行動は所詮たまたま評価されたに過ぎない」
そう言われた。
一番をとったのに、一番より上だったと言われたらどうしていいのか、この頃はわからなかった。
私は一人、じっと父の抑圧に耐えていた。
服装や趣味は、成績なんかに比べれば言いなりになっていれば何も言われないので楽だった。
父が軍服のようなジャケットにハマれば私もそれを着させられる。
父がゲームを勧めれば、面白いと感じなくてもそのゲームをしていればいい。
私は黙ってその通りにする。
逆らえば、鋭い目で私を睨みつける。
鋭い言葉を投げてくる。
気がついたら私は、父に支配されるのが当たり前の日常を送っていた。
何をするときも父の影に怯え、“父の理想に答えようとしている娘”を演じ続けた。
そのうち私は、自分というものを忘れざるを得なくなった。
杉山に出会った頃、父の束縛はまだ軽い方だったように思う。
それに、杉山と隣の席になってからは毎日杉山のイタズラを受けて呆れたり笑ったりして楽しかったからなのか
父の束縛も、学校にいるときはそこまで頭によぎることはなかった。
本当にあの頃は幸せだったと思う。
毎日が、父の帰ってくる夜が憂鬱で、学校へ行ける明日の朝が楽しみだった。
杉山と、離れるまでは。