聖魔の想い人
「…人の住む所<我界>に住まう者よ。我、そなたの呼びかけに応えて現れん。我<神界>に住まう者、影に属する者なり」

その言葉が終わると、さっきまでそこにあった景色が消え、別の物が見え始めた。

そこは、<神界>では、どうやら川原のようだった。まだ生まれたばかりの川が、飛沫を上げて流れて行っている。朧な人影は、<神界>でもやはり朧で、川原に佇んでいた。

「よく来てくれた、チャヤ(影)よ」

ローダが語りかけると、その人影も同じように語りかけた。

「ラマ(人間)よ。我、そなたの問いに答えん」

ローダは、最後に大きく息を吸ってから、一度も息を吸っていない。ずっと、吐き続けている。

「<聖魔>がこちらに生を受けて十年。そろそろ、そちらへ帰る時だ。…還し方を、教えてくれ」

「<聖魔の想い人>を、西の、そちらとこちらが、まじわる所へ、連れて行くのだ」

「危険は?」

「<聖魔>の肉はうまい。多くの悪しき者が、<想い人>を狙うだろうその者たちから、想い人を守る必要がある」

あちらとの交信に慣れているローダでも、だんだんと、息苦しくなってきた。チャヤも、同じ状態のようだ。今にも消え入りそうに、霞んだ姿がさらに霞んでいる。

「想い人は、誰で、どこにいる?」

「カダの<陰ノ室>な産まれし者…そなたの、や………ごの、もと………」

ばちっ、と無音の衝撃を感じ、ローダはあちらとこちらの境から弾き出された。周囲には、こちら側の風景が戻り、辺りも明るくなる。ローダは、背後にどっ、と大の字に倒れ、すうぅ…とこれ以上ない程空気を吸い込んだ。

「あぁ!ったく、何なんだろうね、この辛さは!気のきかないもんだよ。もっと楽にしてくれりゃいいものを」

まるで、ただをこねる子供のように手足をばたつかせ、唐突に、むくりと起き上がる。

「しかし、世も捨てたもんじゃないね。まだ、私にゃあ味方がついてるらしい。私の養い子のそばに想い人がいるだって?」

ひとり事とは思えないひとり事。それは、長年ひとりでいる者の癖だった。話し相手がいないと、そばにある物何でもかんでも話し相手にしてしまう。

「どういう経緯で、想い人があいつの所にいるのかは知らんが、急ぐにこしたことはないねぇ。あいつは薬草以外のことは鈍いし、想い人が想い人だとも気付かんだろうに」

ローダは言って、立ち上がると、林の木々の中に消えて行った。
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