Dream doctor~心を治す医者~
                                           *


    階段の一番上まで上がり、重たい鉄製の扉をゆっくりと押す。
    開いた扉から差し込んだ太陽の光に目を細めた。一週間ぶりくらいだろうか。ずっと地下に篭っていたため、とても眩しい。

    地上のこの部屋は十五畳程の広さがあり、台所兼リビングとして使用している。モダンなデザインの絨毯が敷かれたリビングは、本棚や大きなテレビ、可愛らしいぬいぐるみが並べられた中くらいの棚、青々と立派に育った観葉植物などが置かれている。

    地下の研究室とは違い、大きな窓が二つもついているため、柔らかい陽の光が部屋全体に差し込んでいた。
    しかし、ずっと地下に篭っていた直樹の目にとって、この陽の光は毒のようなものだった。

    ―眩しい……誰か……誰かカーテンを閉めてくれ!

    直樹のそんな心の叫びを遮るように、先に上で待っていたカレンが思いきり背中を叩いた。

「何ぼーっとしてるんですか!    目の前にお客様がいるというのに!    」

「あ?    目の前?    」

    明るいこの部屋にもだいぶ目が慣れてきたようだ。よく見ると、テレビの前に置かれた白いソファーに見知らぬ女性が座っていた。
    三十代半ばだろうか。端整な顔立ちをした品のある女性。黒く美しい髪を上にまとめた彼女は、いかにも"貴婦人"といった感じだ。

    ―金持ちは嫌いなんだがな……

    直樹に気付いた彼女は、立ち上がりにこりと微笑むとお辞儀をした。眉をひそめつつ、軽く会釈する。

「ほらほら!    そんなとこ立ってないで、お前も座る座る!    」

    エプロンを着け、手に持ったお盆に紅茶を二つ乗せた若い男が、台所からこっちに向かってきた。
    茶髪でふんわりとした髪型。優しそうな顔立ちをした、全体的にゆるい感じのこの男の名前は「松川浩史」だ。
    歳は直樹と同い年の二十四歳。同い年とは思えないほど浩史には子供っぽいところがある。しかし、子供のような屈託の無い笑顔と、誰とでも仲良くなれる愛想の良さは、直樹にはない長所だ。それは直樹も認めていた。

「さぁさぁ!    座って座って!    」

    カレンが、後ろから強引に背中を押す。

「おいおい、押すなって……」

    無理矢理ソファーの真ん中に腰掛けさせると、左側の端にご機嫌の様子で腰掛けた。

    ―何を企んでんだ……こいつ……

    訝しげな目でカレンを見る。当の本人はそんなこと気にもしていないようだ。にこにこしている。

「どーぞ♪」

    そこへ浩史がやって来て、紅茶を直樹と女性の前へと置いた。紅茶を出された女性はゆっくりと腰掛けながら、

「ありがとうございます」

    と浩史ににこりと微笑んだ。浩史は頷き、直樹の隣に腰掛けた。
    女性が紅茶を一口飲み、テーブルに置いたところで直樹は口を開いた。

「初めまして。私が大橋直樹です。今日はどのようなご用件で、あなたのような富裕層の方がわざわざこんな寂れた洋館に?」

    露骨に皮肉を込め、攻撃的な態度を取る。直樹は、彼女のような富裕層の人間が大嫌いだった。小さい頃の嫌な記憶が頭をよぎる。

    ―……余計なこと考えるな。今は関係ない

    そう自分に言い聞かせ、すぐに頭から昔の記憶を振り払った。

    直樹の皮肉に、少し困ったような顔を浮かべたが、すぐに真剣な表情に変わった。

「まずは自己紹介をさせてください」

    彼女は、傍に置いてあった鞄から名刺を取り出し、直樹の前へそっと差し出した。

「私、こういう者です。よろしくお願い致します」

    差し出された名刺には、

「関原コーポレーション 代表 関原玲子」

    と書かれていた。横から興味津々で覗いていたカレンは、関原コーポレーションという字に目を輝かせた。

「関原コーポレーション!    あの有名なおもちゃ会社じゃないですか!    」

    俄然テンションが上がったカレンは、突然立ち上がり手を挙げた。気味が悪いほど目をキラキラさせている。
    それにつられて浩史も立ち上がり、

「俺もおもちゃ好き!    縄跳びとか、ジェンガとか、トランプとか!    」

    と、興奮気味に声を上げた。

「おぉ!    浩史さんもそう思いますか!    おもちゃはいいです!    素晴らしい!    」

「おもちゃの醍醐味は、大人になってからやっと分かるもんだよね!    」

    二人の妙なテンションの会話を遮るように、ひどく冷たい声が割って入った。

「……おい。お前ら静かにしてねぇと晩飯抜きだぞ……」

    直樹のその一言で二人のさっきまでの笑顔は消え、まるでこの世の終わりかのような絶望的なものに変わった。しゅんと項垂れ、二人は大人しく腰掛けた。

    ―関原コーポレーション。四年程前から大きくなりだしたおもちゃ会社だ。かなりのやり手の女社長が経営していると聞いたことがある。
    なるほど、彼女がそのやり手の女社長というわけか。

    隣で項垂れる浩史に目をやりながら、深いため息をついた。もう何度目のため息か分かったもんじゃない。

「……元気なご友人ですわね」

    玲子はそんな二人の様子を見て、苦笑を浮かべている。

「……全くですよ……。すみません、話が途切れました。それで?社長さんがどうなされたんです?」

直樹のその言葉で苦笑いを浮かべていた玲子は、真剣な顔つきに変わった。深く息を吸い込み、決心したように口を開いた。

「私がここにお訪ねしたのは、他でもありません。……"仕事"の依頼を頼みたいのです」

    玲子の"仕事"という言葉に、話を聞いていた三人全員が反応した。
    項垂れていた二人も顔を上げ、真剣な顔になる。

    嫌な予感しかなかった。二年前の悲劇が、直樹の頭の中を走馬灯のように駆け巡る。

    紅い血しぶき。さっきまで傍にいた、笑っていた人が目の前で、顔を血で紅く染めながら崩れていく―――

「……ター……マス……ター…………マスター!    」

    カレンに呼びかけられ、はっと我に返る。どうやらずっと呼びかけられていたようだ。全然気付かなかった。

「大丈夫ですか?    」

    玲子も心配そうな顔で見つめていた。右隣に座る浩史は顔を覗き込みながら、

「大丈夫か?    」

    と背中をさすってくれている。

    ―俺としたことが……こいつらに心配されるなんて……情けない

「いや、大丈夫だよ」

    直樹は軽く微笑む。深呼吸をして、気を取り直す。心配そうに見つめる玲子に向き直り、話の本題へと戻った。

「"仕事"、というのはやはり……」

    玲子は深刻そうな顔で頷き、はっきりとした口調で答えた。

「……はい。二年前の恐怖が、"獏"がまた現れました」
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