センセイの好きなもの
母はそれが嫌だったんだ。

夫婦としての時間、女として過ごす時間がまったくない。母親としての自分しかない。

母は俺を連れて行きたいと言った。
自分がお腹を痛めて産んだ。来る日も来る日も自分が育児をしてきた。だからこれからも自分が育てたい。

だけど親父はそれに待ったをかけた。


これから働くところを見つけなければいけない。自分だけならともかく、子どもを育てながら働くのは容易いことじゃない。
生活の基盤が出来たときに迎えに来たらいい。そのときは親権も養育権も渡すからと。


親父の言うことはもっともだった。
それに俺は生まれ育ったこの間街が好きだったし、転校もしたくなかった。

『俺は父さんとここに残る』そう言ったとき母は唇を噛み締めて、手を握り締めて、涙がこぼれないように堪えていた。

もし母について行ったら、母は病にかかることもなく今も生きていたんだろうか。
だけどもしそうしていたら今の俺はいない。
何が正解だったのかなんていつまで経ってもきっと分からない。

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