カレイドスコープの季節
カレイドスコープの季節
あの夏、僕の周りにはキラキラと光る眩しさが取り巻いていて、きっと未来は、そして世界は輝いているものだと思っていた。
僕らの育った海辺の町は青と白のコントラストと坂道の沢山ある高台にあって、その中でも一番長い坂を登りきった場所に建つ校舎で高校生になった僕らは、ようやく子供でもなく、大人でもない季節に届くまでに成長した。
幼い頃から海が大好きだった君の肌は、毎年夏が終わる度に僕と色の黒さを競っていたはずなのに、いつの間にかまぶしい小麦色に柔らかく匂い立つような艶かしさを纏っていて、それに気が付いた僕の心はどんなに激しく波打ったことか、今でも覚えている。
そして、そんな君が僕を好きだと言ってくれたことも鮮明に色褪せることもなく。
一度目の夏はただがむしゃらに色々な何もかもが楽しくて、汗を飛び散らせては生き急ぐように登下校した坂道を、二度目の夏は前髪から滴る汗を気にしながら君と並んで歩いた。茹だるような暑さの中でも君だけはいつも涼しげで、そして美しく眩しかった。
その頃の僕の心は春の陽気に包まれたままに、あの夏の空のようにまっさらに澄んで雲ひとつない爽やかさと高く高く手を伸ばしても決して届きはしないのにどこか掴めてしまえそうな無謀さを称えた青をふんだんに纏っていた。
あの頃、君が大人になんかなりたくないと呟いては柔らかな掌で僕の手を握ってくれる度に、僕は君が醸し出す甘さを含んだ香りで擽られるように早く大人の階段を登ってしまいたくて仕方がなかった。
きっとこれからも、そしていつまでも続く今を、未来を、疑うこともなく、あまりにも無防備で無垢なままだった。
そして三度目の夏が盛りを迎える前に、君と過ごしたカレイドスコープのような季節は突然に終わりを告げて、僕の瞼の裏には制服の君の後ろ姿だけがはっきりと焼き付いたままになった。
何故、どうしてを際限なく繰り返してみても答えをくれるものは何ひとつなかった。この町のどこを歩いても、君の姿を探してしまうようで僕は悲しみと自分の弱さに打ちのめされて、そして卒業と同時に逃げるようにこの町を捨てた。
それから一度も戻ることはしなかった。
慣れない土地で毎日を忙しさで覆い隠してしまえば、君を想い出す回数も減るのだろうとただひたすらに訪れる朝を待ち続けてもみたけれど、瞳を閉じる度に見える焼き付いた君の姿はまるでサブリミナルのようで、より濃く僕の頭の中で残像が深く色を増すばかりだった。
瞼を閉じるのが怖くなって眠れぬ夜と無意味に貯まる使い道もない金が増え続ける日々をどれくらい過ごしたのか、もうわからない。
君に取り残された僕に見える現実の景色は灰色と白のグラデーション。
たとえ夢の中で君に出会えたとしても、それはモノクロの幻想。
真っ暗な映画館にひとりぼっち、終わりのこない物語を見てる。灯りがつくまでは席を立つことも出来ずにいる。
行き場のない想いのめぐる閉じ籠った色のない世界でしかない日々を巻き戻しては繰り返し、擦りきれてゆく。
都会の空は、沢山の疲れきった人々の溜め息で重みを増し、澱んだ色を浄化することも出来ずに降り注ぐはずの陽の光を覆い隠す無慈悲なフィルターを持っていて、あの夏の空も、あの頃の匂いも、すべてが自分を騙すための嘘だったように思えてしまう。
僕の外側だけを見れば、きっと何の代わり映えのしない毎日を繰り返しているだけだろうけれど、刻々と失われゆくぬくもりを取り戻す術もなく身体の奥から奪われた温度が心を冷たく変えてゆく。
天気予報が告げる予想気温が日に日に下がるのも部屋の室温が一向に上がらないのも僕のせいかもしれない。
それとも、現実に冬が訪れようとしているのだろうか。
あれから、次第に僕の流す涙は雨に変わり、そして雪へと変わっていった。
降り積もる雪の上に君と歩いた季節の想い出は、足跡みたいにひとつひとつ置き去りになってゆく。
淋しさに気付いて振り返ってみても、その足跡は降り頻る雪に消され、見つけることも出来はしない。
かといって、都会の雪では本来のあるべき白を気高く残すほどの優しさは持ち合わせておらず、すぐに汚れてしまうから、想い出を汚されるよりは消えてしまうほうがマシなのかもしれない。
時計の針と僕の毎日は閉じたサークルの中でただぐるぐると回り、前へと進むつもりで踏み出した足は気付けばいつも同じ場所に戻されてしまう。
足跡だけは無数にあるはずなのに、それさえ見当たらない振り出しの景色。
抜け出せず、置いてきぼりの僕の心は冬にとどまったままで、確かにあったはずの想い出の足跡とあの夏の君の姿を降り積もる雪に消されてしまわぬよう探し彷徨い続けている。
あの頃君は大人になりたくないと言ったけれど、カレイドスコープの中で生き続ける君は決して大人にならなかった。
あれから幾度、僕の外側では季節が巡り、何度春に追い越されたのかもわからぬまま重しのように月日が重なり、取り残された僕だけが歳を重ねる。
押し潰されながらも懸命に繰り返す日々を日常と言うのなら、抜け出せぬ僕の冬がいつか日常に変わる頃、いったい僕は幾つ君より歳上になってしまうのだろうか。
あの夏の始まりに君は僕を置き去りにして、大好きだった海に溶けてしまった。
何の前触れもなく、突然に。
君は言葉通りに大人になることを放棄した。
君の想い出と僕の青い春をカレイドスコープの中に閉じ込めたままで、エンドロールさえも見せてはくれなかった。