素顔のキスは残業後に
それは昔から何度もやってきた『おまじない』
いつだって気持ちを落ち着かせてくれるそれは、今日も効果絶大だった。

落ち着き払った瞳を向けると雅人は意外な言葉を口にした。

「柏原さんと付き合ってるのか?」

「えっ、なんで……」

「あぁ。噂になってたし」

違う。私が言った「なんで」は――。


「それと聞くつもりはなかったんだけど、階段で二人が話してるの聞いちゃってさ。一昨日の夜…ピアス、とか」

なんで、そんなことを気にするの?

胸に広がり始めた痛みに鋭さが増す。固く握り締めた指先が微かに震えていく。

「そういうことじゃ……ないよ」

言葉を濁らせると雅人が息を呑むのが分かった。

「えっ。じゃぁ、どういう――……いや、そうじゃなくて。そういうことを聞きたいんじゃなくてさ。俺達こういう風になちゃったけど。

でも俺――桜井にはこれからも仕事を頑張って、いい恋愛をして、幸せになってほしいって思ってるから」

私を見つめる切なげな瞳が、身勝手すぎる言葉が、大丈夫と言い聞かせた体を一突きにする。

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