プラトニック・オーダー
お昼時の街中は、うんざりする程混んでいる。
それでも、この辺りはカフェやレストランがそれなりに点在しているので、そこまで待たずに席に座ることは出来る。
「ふー!生き返りますねー!」
元気にオレンジジュース片手に、沙由はニコニコとご機嫌のようだ。
沙由という子は、明るくていつも笑顔で、そして女の私から見ても可愛い。
仕事も出来ないわけではないし、上司や同僚にも可愛がられていた。
「あ、そういえば先輩!今日の夜あいてますか?」
「え?」
「いやー、実は今日彼氏とデートの予定がドタキャンされちゃって!でもお母さんには彼氏とデートいってくるー!って惚気ちゃった手前、断られて家帰るの恥ずかしくって」
「あー、いいけど、22時くらいまででも大丈夫?」
私の言葉に沙由は目をキラキラ輝かせて頷く。
「ありがとうございます!あ、22時までって、先輩も今日デートの予定ですかー?」
「うーん、まぁね」
果たして、これが世間一般でいうデートになるのかはわからない。
ただ、確かにデートといえばデートかもしれない。
数ヶ月ぶりに、彼に会えるのだから。
「そういえば、彼氏さんとの馴れ初めとか聞いてないんですけど!後でご飯のとき教えてくださいね!」
今しがたランチを食べたばかりだというのに、もう沙由の頭の中は夕飯の事を考えているようだった。
「いいけど、何も面白いことないよ」
「いいんですー」
屈託のない笑顔を浮かべながら、沙由は楽しそうにしている。
そんな沙由の顔を見ながら、私は彼―……保坂勤(ほさか つとむ)との出会いについて思い出していた。
私と彼が出会ったのは、ちょうどゴールデンウィークが終わってアルバイトを探していた大学二年の頃だった。
家から近い、シフトに自由がきく、という理由で選んだファーストフード店でのアルバイトは、想像していたよりもハードだった。
そこで、生き生きと接客していたのが彼だった。
爽やかイケメンとでも言えばいいのだろうか。
どちらかといえば社交的ではない私からすると、住む世界が違う人種の一つだった。
「初めまして、木崎です」
「保坂だよ。あれ、同い年だよね?タメだし敬語とかやめよう」
「あぁ、はい」
始めは、そんな会話だった。
一緒に仕事をするうちに、この爽やかイケメンは普通のお笑い好きのマイペース人間だということがわかった。
正直、そのマイペースっぷりにイライラすることもないことはなかった。
むしろ、私はどっちかというとさっさと仕事を済ませてしまいたいタイプだったから始めのうちはかなりペースを乱された。
それでも他の同い年のバイト達を交えて遊んだりするうちに、少しずつ距離が近づいていった。
「好きです、付き合ってください」
そんな、今時真っ直ぐすぎる告白の仕方をされたのは、出会ってから半年経ってからだった。
それが早いのか遅いのかはわからないけど、友達のような恋人関係はそこからスタートした。
どちらから、というわけではなく自然と恋人同士がするようなものは通り越して、まるで夫婦のような半同棲がスタートしたのはそれから程なくしてだった。
まるで、老年の夫婦のような付き合い方だね、とは私たちをよく知る友人たちの言だ。
実際、私もそう思う。
手を繋いだり腕を組んだり程度のことはあっても、そこから先に発展することはなかった。
それに対してお互い何か思うわけでもなく、ごくごく自然にそれを受け入れていたというか。
そんな生活に終わりが訪れたのは、大学四年―……つまり、卒業と就職の時期だった。
保坂くんは実家の近くにあるホテルに内定を決め、そこで働くことに。
私はそのまま、今の大学側の小さな会社に事務として働くことが決まった。
自然な成り行きに任せるまま、遠距離恋愛になってしまった。
不安とか、将来に対する約束とか。
思い返せば、あんまりそういうものも話し合わなかった気がする。
兎に角、保坂くんは親元に帰ってしまった。
保坂くんが職場に選んだホテルは、『スターライトビュー』という名のホテルだ。
湖を見下ろせる丘の上に建つそのホテルは、有名人の避暑に利用されたり、家族連れにも人気のある素敵なホテルだった。
何度も雑誌に取り上げられたり、テレビでもよく特集を見る。
そんなホテルの、『レイクサイド』というレストランが彼の勤める部署だった。
レストランのウエイター。
彼が配属先を教えてくれたときの笑顔は今も忘れられない。
キラキラと輝いていて、なんだか保坂くんが精神的にも遠くへ行ってしまうような。
これで、本当に手の届かない人になってしまうんじゃないか。
そんな不安が過ぎらないわけではなかったけど、何よりも彼がやりたいことは応援してあげたかった。
いざお互いが働き始めてみると、とてもじゃないけど会う時間なんてそうそう設ける事も出来なかった。
保坂くんは朝早くから夜遅い時間まで仕事で、私は反対に朝9時から17時きっかりの退社。
保坂くんの休みは繁忙期に左右されるのもあって、なかなかこっちから会いに行くというのも難しかった。
それでも、電話で聞く彼の職場の話は本当に楽しそうで素敵で、私は自分の事の様に嬉しかった。
数ヶ月に一回、保坂くんが連休をとって会いに来てくれるようになって三年。
お互いの親もそろそろ結婚を……なんていいださないでもなかったけど、私たちは相変わらず遠距離恋愛をしていた。
私は保坂くんが出て行ったアパートにそのまま住んでいて、保坂くんがいつ泊まりに来ても大丈夫なようにしてあった。
一人で住むには広すぎて、一人暮らしになって三ヶ月目に猫を飼った。
お陰で、独り言が多くなってしまったけど、保坂くんも会うのを楽しみにしてくれていた。
やっぱり、少し寂しかったのかもしれない。
猫と生活するようになって、私のつまらない日常も少しは彩が生まれた気がする。
殺風景だった部屋には猫のグッズが増えたし、寒い夜は猫とくっついて眠った。
保坂くんと電話で話す内容も猫がした面白いイタズラの話とか、それまで話題に乏しかった私にしては随分と変わってきた。
一度、猫を連れてホテルに泊まりにおいでといわれたことがある。
だけど、私は行けなかった。
思い出すのは、アルバイト先で輝いて見えた保坂くん。
あの頃よりもっとキラキラ輝いていて、素敵になっているんだろう。
私はどうしても自分と比べてしまって、その現実を直視する勇気が出なかった。