Cross Over
プロローグ
『…っ。』
目を開いた途端、全身に痛みが走った。
まだはっきりとしない意識。ぼんやりと、白い天井を見上げる。
ゆっくりと視線を右へ逸らすと、細い管が自分の右手へと続いていた。
__ここは…病院?
ぼんやりとした頭で、状況を飲み込もうとする。
ゆっくりと起き上がろうと試みる。
体はいうことをきかないが、少しずつ上半身を起こそうとして。
なんとか起き上がれば、無機質な白い病室をゆっくり見渡した。
窓から見える景色で理解できた。
ここは住んでいる町の大きな総合病院だ。
どうして病院に…。
一体何が起きたのだろう…。
最後の記憶を辿ろうとするが、__思い出せない。
ふと、自分の体を見る。
右手に繋がれた点滴。
頭と左手、左足に巻かれている包帯。
『あたし…どうなったんだっけ。』
ぼんやりした頭で考えていると、ふとベッドの横のテーブルに置かれた、煙草とジッポが目に留まる。
今まで誰かが座っていたかのような、そんな気配を感じるパイプ椅子が、その前に置かれていた。
まだ、うまく働いてはくれない脳内でぼんやりと見つめていると、
ふいに病室の扉が開いた。
『あら。なごみ、気が付いたのね。もう1週間近く眠っていたわよ?』
安心感のある顔と声。
母だった。
『急に病院から連絡がきて、お母さんもお父さんもびっくりしたんだから。でも、怪我も幸いに軽くてすんだし。すぐに目を覚ますでしょうってお医者様から聞いて、本当に安心したのよ。』
目を覚ました娘に、ほっと安堵したように話す表情と声色。
『あたし…どうしたの?』
『あら、覚えてないの?』
驚いたようにこちらを見て母が答える。
『あなた、道路に急に飛び出して。車とぶつかったのよ?』
『…!…車と?』
『そうよ。車のほうはほとんどスピードがなかったから、ほんとに不幸中の幸い。こんな軽い怪我ですんだのよ。』
道路に…?車とぶつかった…?
まだ意識がはっきりしない頭を働かせながら、記憶を辿ろうとする。
『…どうして急に飛び出したりなんか…。』
そう言った途端、母がこちらに体を向ける。
『お母さんが聞きたいわよ。怜くんと一緒にいる時に、あなたが急に飛び出して行って、車とぶつかったんでしょ?怜くんがここまであなたを運んでくれて、ずっとつきっきりでお世話をしてくれたのよ?』
…れい、くん?
母が突然口にした、全く聞き覚えのない名前に頭が混乱する。
だが。
何もかも、全く思い出せない。
自分の名前はわかる。
朝比奈 なごみ(あさひな なごみ)。近くの大手出版社に勤務する24歳。
自分の家も、この病院の名前もわかる。
そして、今自分の目の前にいるのはお母さんだ。
しかし、道路に飛び出したというその時の記憶だけが、すっぽり消されているように、全く思い出せない。
母が口にしている『怜』とは一体誰のことなのだろう。
険しい表情でうつむく私に、母が恐る恐る問いただす。
『まさかあなた…怜くんのこと、覚えてないの?』
母の言葉に、呆然と病室の空間を眺めた。
__窓から吹きぬける風が、花瓶に飾られた小さな赤い花を揺らした。