Cross Over
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『この間の返事はまだ時間がかかりそうかね。』
ベンチに並んで腰掛ける。
『・・すいません。なかなか思いきれなくて。』
ミルクティーを握りしめ視線を落とす。
『いや。なかなかそう決断できることじゃない。』
男性が微笑んで、持ってきたコーヒー缶を開けた。
『君にはピアニストという道だけではなく、作曲家としての道もある。』
コーヒーを飲みながら遠くを見つめる。
『自分自身が弾かなくても、せっかくの音楽を作り出す才能を大いに披露することもできる。』
『いえ・・・私にはそんな・・』
うつむき黙り込む私に、男性がゆっくり間を置いて言葉を続けた。
『君の曲を欲しいのはね、私なんだよ。』
え・・・?
男性のほうに視線をうつす。
『あの日。この曲を欲しいと思ったのは、私自身なんだ。あの時は、世の中に、なんて言い回しをしてしまったがね。』
ふと、優しく目を細める。
目を丸くする私に、遠くの子供たちを見ながら話しを続ける。
『君の曲を聴いた時、何故かなんとも言えない心情に心を動かされた。
それは曲の構成だとか、そういう意味ではなく、
あの曲から感じられる何か強い意思や、想いが、私には感じられたからだ。』
ふと、表情が神妙に変わる。
『私にも家族がいてね。』
男性が思い出すように視線を足元に移す。
『家族をばらばらにしてしまったのは私だ。息子は私を憎んでいるのだろう。』
男性の言葉と表情に、言葉が出ず、
柔らかい風がなびく中、ただその表情を見つめ、話を聞いていた。
『息子に許してもらおうとは思っていない。』
ふと視線を前に移し、言葉を続けた。
『ただ。大切なものを見つけて、私のようにはならないよう生きていって欲しいと思ってる。』
何も言わず見つめている私に気付いたように、こちらを見て微笑む。
ーーーーっ・・・
切なそうな目。
愛しいものがその想いとは裏腹に、守ろうとすればするほど傷付いてしまう。
不器用で、
でも、
優しい。
ほんとは、愛情と、温かさを秘めた、
切なさが溢れる目。
ーーーーー。
この目・・・・
『すまない。こんな話をしたかったわけじゃないんだが。』
『いえっ・・。』
男性がふと、微笑む。
『君の曲を聴いたとき、何故か家族のことを思い出した。』
何かを思い詰めるような目で、手の中の缶コーヒーを見つめる。
『大切にしたいと思えば思うほど、傷を深くえぐってしまう。その痛みこそ、その人の本当の姿であり、もがき苦しんでいる姿こそ本当の心の内だ。』
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ふとこちらを見る。
『君の曲を聴きながら、自然と涙がこぼれた。何故か心が握りつぶされそうになる感覚がした。』
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男性が微笑む。
『君がプロになることは、どれだけでも私が力を添えよう。』
男性が立ち上がる。
『また、もし考えが決まったらいつでも言いなさい。ゆっくり考えて決めるといい。』
立ち去ろうとするその背中に思わず声をかけた。
『あっ・・あのっ・・』
男性がふと、振り返る。
『息子さんはきっと・・っ・・。今はわからないかもしれませんが、きっといつか貴方を許せる時がくるんじゃないかと思います・・っ・・。』
私の言葉に、男性が表情を変えて、
こちらを振り向く。
『時間はかかるのかもしれない。でも・・っ。』
声を伝えようと絞り出す。
『私の大切な人と同じ目をしていたから。』
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男性の表情が固まる。
『さっき家族のことをお話しされてる時の目。不安で、何か悲しみに包まれて怯えているような・・でも・・』
ふと顔をあげる。
『本当はすごく温かい優しい目。』
男性は何も言わずこちらを見つめていた。
『そんな優しいお父さんの気持ちに、息子さんはいつか、きっと・・・気付くはずです・・っ。』
男性はただ何も言わず、目を見開いてこちらを見ていた。
ーーーっ!
ふと我に返り、頭を下げる。
『ごっ・・・ごめんなさい急に。勝手なことを・・っ。』
『いや。』
慌てていると、ふと男性が微笑んだ。
『ありがとう。』
今までで一番優しい表情で、男性は微笑んだ。
ふと、息をつく。
・・・よかった
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『いい返事、待ってるよ。』
『あっ・・あの!』
ゆっくり背を向け去ろうとする背中に、連絡先を聞こうと声を出すと、
男性が振り返り、こちらを見て一言つぶやいた。
『きっとまた、会える。』
・・・・
・・・え?
ふと微笑んでそう言い残し、呆然とする私をそのままに、
男性は公園の中を歩いていった。