Cross Over
莉菜がこの病室に入ってからもうすぐ、1週間が経とうとしていた。
相変わらず莉菜は目を覚まさない。
このままもう目を覚まさないのではないか。
そんな錯覚さえ起きそうになる。
莉菜が元の元気な姿に戻ってくれることを一番望んでいる。
その莉菜の近くに、俺はいなくたとしても。
1日のうち数時間、シャワーと着替えに家に戻ることを除いては、全て病室で過ごした。
病室の椅子に座り本を読んだり、煙草を吸いに少し外に出たり、莉菜の手を握ったまま寝てしまっていたり。
何もない病室でも退屈だとは思わなかった。
莉菜が目を覚ますまで、彼女の傍にいれるのは今だけ。
彼女の傍にいれることだけで幸せだった。
ある時。
莉菜の母親と何気ない会話をしている時、母親から驚くことを聞かされた。
『莉菜ったらね、会社の中にすごく素敵でかっこいい人がいるんだって。ずっと話してたのよ。背が高くて、クールで落ち着いた人だって。俊くんに会ったときすぐ、あなたが、莉菜の言ってる彼だってわかったわ。』
微笑んで嬉しそうに話す母親に、
頭が混乱した。
それは・・・・
それは本当に俺のことなのだろうか。
母親が続ける。
『前に、会社のICカードを忘れて、入り口を通れずバッグの中を探していた時、彼が自分のICカードを通して、入り口を通してくれたんだって。 それは母親の勘ってやつだけど。俊くんが、莉菜が言ってる彼だと何故かピンときたの。きっと間違いないって。』
自信たっぷりに言う母親を見て、驚いて言葉が出なかった。
それはまさにあの日のことだった。
俺たちの会社は、社員が通る入り口の通路が、駅の改札のようになっていて、全社員が持っているICカードを通さないと出入りできないようになっている。
今から半年ほど前のある朝。
いつも通り出勤し、機械にICカードを通そうとしたとき、
すぐ近くで、バッグの中をひっくり返し、焦った様子で何かを探している莉菜が目に入った。
必死にバッグの中を見ている莉菜の、その姿に引き寄せられるように、気が付けば、勝手に足が動いていた。
『通れねえのか?』
莉菜の前に立ち声をかける。
はっと、顔をあげ莉菜がこちらを見上げる。
すぐさまさっと立ちあがり、おどおどした様子でうつむきがちに言った。
『あ、はいっ・・・忘れてきてしまったみたいで・・っ。』
・・・可愛い。なんだ、こいつ。
近くで見た莉菜に思わず、年甲斐もなくドキっとしたが、その動揺を隠すように冷静を装い、ゆっくり振り返り入り口に向かった。
『俺今から通るから、先通れ。』
『え・・・?』
『早くしろ。』
急かす俺に、慌てて莉菜がバッグを持ちこちらに駆けてくる。そして入り口を通り、その後ろから俺も通った。
『あっ・・ありがとうございましたっ!』
こちらを見てペコッとお辞儀をする。
丸い目でこちらを見上げるその純粋な表情に、顔が熱くなるのを感じた。
・・やべえ。見てるだけで何照れてんだ俺。
火照った顔を隠すように視線をそらし、自分の部署のほうへ何も言わず歩いていった。
この時が、初めて莉菜と会話したことになると思う。
この日から俺は、莉菜の部署を知り、会社の中では莉菜を自然と探し目で追うようになった。
たまに見かける莉菜の無垢で飾らない笑顔に、
俺は完全に恋をしていた。
莉菜を見るたび鼓動が早くなり、その高鳴りを抑えられなくなる。
どうにか話しかけて、繋がりをもつきっかけがほしいと思っているものの、
こんな純粋な恋愛をしたことのない、ましてや不器用な俺には高いハードルだった。
なんでもない女なら、簡単に誘えるのにな・・。
あの朝から、たまに会社内ですれ違うと莉菜は軽く挨拶と会釈をしてくれるようになった。
こっちも挨拶を返すくらいで、その先がなかなかうまく繋げない。
相手が莉菜となると、どうも上手く話しかけるきっかけを躊躇してしまう。
あんまり軽すぎても佐山みたいになるし、かといってあんまり堅っ苦しくてもな・・なんなんだよ俺。学生かよ・・。
そんなことに頭を悩ませたまま、月日だけが過ぎていき、それから何ヵ月か過ぎたあの日。思いもよらないきっかけが訪れた。