Cross Over



しばらくして、

綺麗な赤い小さな花が飾られた花瓶を持って、母親が病室に戻ってきた。




それを見届け、一旦家に戻りまた来ることを伝え、病院をあとにした。





莉菜が早く目を覚ますといい。

早く、あの莉菜に会いたい。



明るく笑う、あの曇りのない笑顔が見たい。

声が、聞きたい。




そう考えながら、車をマンションに走らせた。











ーーーー。





1時間ほどで、また車で病院へ向かう。









車の中で、何故か胸騒ぎがした。





なんだ、このざわざわとする気持ち。



もしかしたら、



もしかしたら莉菜に何かあったのか。




そんな予感を感じながら

早く病院に戻ろうと思い、アクセルを踏み込んだ。










病院に着き、病室に入ろうとドアに手をかけた時、中から話し声が聞こえ、動きを止めた。







母親の話し声が聞こえる。



静かに耳を澄ます。








莉菜が目を覚ましたのか。







すぐに扉をあけて病室に入ってもよかった。


だが、


その時の俺は何故か、

手を扉にかけたまま、体を動かさず、静かに中の声に耳を澄ました。






その時、

莉菜の声が、微かだが聞こえた。






ーーーー。







久しぶりに聞いた莉菜の声。








目の奥が熱くなってくる。








小さく不安そうな声が聞こえる。




自分がどうして病院にいるのか聞いているようだった。




母親が事故のことを説明している。








まさか莉菜は、事故のことを覚えていないのか?



事故のショックで忘れてしまったのならそれがいい。


怖い思いをしたことを、莉菜に思い出させたくはない。






しかし、





次に聞こえた言葉に体が硬直した。







『俊くんが、あなたをここに運んでくれたのよ。』




母親が俺の名前を出している。




あんな思いをさせた俺を、莉菜はどう思っているのか。


もう顔も見たくない。もし、会いたくないといえばどうしたらいいのか。







莉菜の反応が気になり、その場に立ったまま、耳を澄ました。






が、莉菜からの反応はない。







病室からは何も聞こえない。



どうしたのだろう。










その時、
聞こえてきた母親の言葉に目を見開いた。








『もしかしてあなた・・・俊くんのこと、覚えてないの?』










・・・・・




・・・覚えてない?





聞こえてきた言葉に、一瞬、時が止まった気がした。










覚えてない・・・




莉菜は・・




莉菜は
俺の存在を。










その母親の言葉から、莉菜の返答は聞こえてこない。






間違いない。









莉菜は自分のことを忘れてしまった。








事故のショックで、関すること全ての記憶がなくなった。










・・・・そうか。


それなら。





自分でも不思議だが、その時の俺は冷静だった。








むしろ、よかったじゃないか。




ふっと、笑みをこぼす。




完璧に俺のことは忘れる。

そして、思い出さない。



莉菜の中で俺はなかったことになる。



俺と関係した日々はなかったことになるんだ。






その時、笑いながら視界が滲んだ。



泣くことなんて、何年ぶりだろう。



これでむしろ、よかったはずなのに、



なのに涙が溢れ出てくる。






先ほどの考えはとうに消えていた。




やはり、最初に思った通りになる。




それが一番、正しかったのだ。






莉菜にとって、一番幸せな方向。


それは、やはり最初に自分が考えたことなんだ。





俺は莉菜の前から姿を消した方がいい。




きっと、



それが一番いい。


だから莉菜は

俺の記憶をなくしたんだ。









扉にかけていた手を戻し、



そのまま体の向きを変える。






涙が、



病院の廊下に一粒、また一粒と落ちた。









静かに病院の外へ、歩きだした。






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