Cross Over
光
あの頃の俺は、
会議の資料の作成や、新しい企画を任されたこともあり、日々仕事に追われていた。
ーーー。
あれから、体の怪我も良くなり、無事に退院できていれば、もう退院していてもいいかもしれない。
彼女の目の前から突然去ったとはいえ、
同じ会社に勤めていればどこかですれ違う日もあるかもしれない。
忙しい中でも頭をよぎっていた。
だが、
彼女は俺のことを覚えていない。
きっと俺の顔を見たって、何も思わないだろう。
記憶が、戻っていなければ。
だが。
まさかあんなに突然
再会するとは思ってもみなかった。
ーーーー。
誰もいない部署の自分のデスクで、腕を伸ばす。
あー・・
疲れた。
『・・・・・。』
目の前の山積みの資料を無言で見つめ、
ため息をつく。
腕時計を見る。
今日はたまにも、早めに切り上げるか・・。
早めと言えど、時計の針は9時をさしていた。
残りは家でやることにし、今日はもう帰ろう。
パソコンの電源を切り、書類の一部を持って部署を出る。
ーーー。
・・明日の会議に必要なものは揃ってるし。
あ、佐山に連絡いれるの忘れてた。この間のデータ持ってきてもらわねえと。
デスクから離れても、仕事のことが頭の中を駆け巡る。
エレベーターホールへ向かい、ふと顔をあげた。
ーーーその時。
目に入ったその後ろ姿に、
一瞬にして思考と体の動きが停止した。
ーーーバサッ。
思わず手に持っていた資料を落とす。
はっと我にかえり、
すかさず拾い上げる。
落ちている資料を拾いながら、頭の中は急速に回転する。
・なんで・・
もう・・復帰してたのか・・
動揺し、思考と行動がうまく噛み合わない。
・・・
落ち着け・・・
自分を落ち着かせようと必死に頭を動かしながら、
何事もないかのように冷静に書類を拾おうとする。
現実にはほんの数秒のことだったかもしれない。
だが、動揺し頭を一気に回転させていた俺には、何分も時間が経過したような気がした。
・・・・
莉菜のほうを見ず、顔をあげ体勢を立て直す。
突然のことに一気に動揺する自分がいる。
・・・どうしたらいい。
でも、このまま黙ってエレベーターに乗り、
降りさえすれば・・・・
そんな思考を掻き立てれば立てるほどに
想いが溢れてくる。
莉菜・・・
目は向けなくてもわかる。
愛しいその姿を
隣で感じる。
ーーー無事退院できたんだな・・・
この時間まで残っている。
退院してきっと、まだそんなに経たないというのに。
前からそうだ。
責任感が強くて、でもたまに抜けてるとこがあって。
でも、真っ直ぐな莉菜を思い出す。
・・・・
会いたかった。
ほんとはこの姿を
誰より見たかった。
今すぐに抱き締めたい衝動を
抑えようと冷静を装う。
だが。
その俺の考えは、
次に起きた出来事で見事に崩れ去った。
『これ・・忘れてますよ』
その声に息が止まりそうになった。
条件反射で隣りを見る。
小さくて、華奢な体。
ツヤのある茶色の髪。
何より、
ずっと見たかった、
優しい莉菜の顔が目に止まる。
ーーーー。
最後に見たのは、病院のベッドの上。
点滴につながれた、眠ったままの莉菜の姿。
そのまま俺は莉菜の前から姿を消した。
しかし、
今目の前には、事故以前と何も変わらない莉菜の優しい顔がある。
・・・・莉菜
思わず触れたくなる。
その腕を掴み、今すぐ抱き締めたい。
その衝動を
必死に堪える。
『あ、どうも。』
必死に表情に出さないよう言葉を返した。
よかった・・
元気そうでよかった
目の奥から熱いものが込み上げそうなのを、堪える。
やがて、エレベーターが開き、乗り込んだ。
ボタンを押す。
頭の中は真っ白に近かった。
・・・・
動揺を隠そうと必死に冷静を装う。
・・何かを話すか?
いや、話すわけにいかない。
でも話さないのも逆に不自然か?
いや、でも・・
ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
このままエレベーターを降りれば、
今までと同じ。
莉菜は俺のことを忘れていて、そして俺は目の前から姿を消したんだ。
何事もない、今までの日々に戻るだけ。
横目に莉菜を見る。
隣りにいる莉菜から、記憶が戻っているとは思えない。少しうつむきながら隣りに静かに立っている。
堪えろ。
話しかけたい。
触れたい。
ずっと
会いたかった
抑えている感情があふれそうになる。
話したいのに
触れたいのに
できない。
それがまた
その想いを強くする。
その時。
ふと、莉菜の体が少し揺れたように感じた。
・・・?
ふと不思議に思ったその途端。
頭を支えて莉菜がふらついた。
ーーーー!
『おい。大丈夫か。』
思わず声をかける。
まさか
まだ体調が完全じゃないのか
それともーーー
『大丈夫です・・・』
その一言を発した次には、
莉菜は足からその場に崩れ落ちた。
ーーー!
『おい。しっかりしろ。』
咄嗟に莉菜の体を支える。
エレベーターが一階に着く。
・・とにかく、座らせよう。
莉菜を抱えながら
ロビーのソファーへ連れていき座らせる。
『すいませんあたし・・・大丈夫です』
辛そうな莉菜が途切れ途切れに言葉を発する。
『ちょっとそこ。座ってろ。』
冷静な言葉とは裏腹に、頭の中は動揺と焦りで埋め尽くされていた。
立ち上がろうとした莉菜を制止し、
その場にゆっくり座った莉菜を確認した後、
ロビー奥の自販機に向かう。
何が原因かはわからない。
もしや、
事故の何か後遺症でも残っているのかーーー。
不安が次々と掻き立てられる。
とりあえず、
落ち着かせなければ。
莉菜が落ち着くまでは傍にいよう。
咄嗟に莉菜がいつも飲んでいるミルクティーのボタンを押す。
取り出す時に、はっと気が付いた。
これ・・・。
ミルクティーの缶を手に取る。
・・・
不思議に思われるかもしれない。
缶を持って体の向きを変える。
いや。
今はそんなこと考えているより、
莉菜を落ち着かせなければ。
莉菜の元へ向かう。
『これ。ちょっと落ちつけ。』
買ってきた缶を莉菜に渡す。
『・・・ありがとうございます』
辛そうな莉菜が無理をしたような笑みを向ける。
・・・・
胸がズキンと傷んだ。
すぐにうつむいた莉菜の隣に、ゆっくり座った。
俺のせいできっと
もし何か莉菜の体に良くないことが
あの事故で残ってしまったのなら。
不安が掻き立てられ
押し潰されそうになる。
莉菜を見る。
うつむいたまま辛そうな莉菜を見つめ、
自分の足元に視線をうつす。
不安と、罪悪感と・・・
いろいろな感情が駆けめぐったまま
莉菜が落ちつくのを静かに待った。
ーーーー。