Cross Over
久しぶりに戻った自分の家。
懐かしい空気に心がふっと安らぐ。
心地よい空気に浸りたい気持ちを抑えて、すぐさま2階にある自分の部屋に向かう。
『あった。これこれ。』
部屋の小さなテーブルの上に、見覚えのある携帯電話。
病院で自分の記憶喪失に落ち込んでいた時、母が、忘れていた携帯電話の存在を告げてくれた。
事故現場に落ちていたそれを、彼が持ってきてくれたという。
見たら、何か思い出すんじゃない?という母の言葉に希望を感じて、この部屋に帰ってくるのを心待ちにしていたのだ。
これできっと、たくさんのことを思い出せるはず。
胸の高鳴りを抑えながら、その場に立ったまま座ることも忘れて、はやる気持ちで使い慣れた携帯に触れる。
もしかしたら、待ち受け画面とか彼の写真だったりして。
だが、見てみた待ち受け画面に画像などはなく、
携帯に元々入っているシンプルなトップ画面だった。
あれ__。
恋人との写真は待ち受け画面とかにはしない質…だっけ。
画像のフォルダを開いてみる。
たくさんの懐かしい写真が並ぶ中、彼らしき人物が写っている写真は、一枚も見当たらなかった。
でも__。
でもここには、必ず何か残っているはず。
少し動揺しながら、徐々に焦る気持ちを抑えてメール画面を開いた。
友達や会社の同僚、先輩からのメールが何件も届いていた。
そのメールを読む前に、受信フォルダや、送信フォルダを片っ端から見た。
しかし、彼らしき人物とのメールのやりとりは一件も残っていなかった。
着信履歴にも、発信履歴にも、『怜』という名前はなく、
アドレス帳の中にその名前がないことを確認した時、がっくりと肩を落としその場に座り込んだ。
どうして。
恋人であるはずの人物の形跡が、自分の携帯電話に一つもない。
こんなことがあるのだろうか。
もしかして、
自分にそんな彼がいたこと自体、やはり、嘘なのではないか。何かの間違いなのではないか。
でも__。
そうだとしたら母の言う病院での『怜』という人物。あの彼は一体何者だというのか。
自分の中の空白を埋めるためのきっかけになるであろうと思っていたことが、余計に頭を混乱させた。
どうしよう。
途方に暮れて一人、携帯を握りしめたまま落胆した。
__黒くてもやもやとした何か。覆い尽くされそうな不安と焦りに、
胸が締め付けられた。