Cross Over







ーーーー。




屋上の夕暮れの風に吹かれながら、煙草の煙をふかす。




手すりに肘をつき、ため息をつきながら隣を見る。





『・・また派手にやったな。いくらなんでも、そりゃやりすぎだ。』




言葉に顔をうつむけ、視線を下に落とした。



『・・・・。』




『さすがの新崎も怒るだろ。』






思い詰めた表情で、うつむいたままの沙織を見る。







『・・・・悪かったと思ってる。』











佐山先輩に聞いてほしい話がある、と言われここに来た時、

屋上にいた沙織は、心から傷心しているようだった。







・・・・・。






視線を前に戻し、ゆっくり煙草の煙を吐き出す。








『・・・驚いたの。あの時。』







うつむいたままの沙織の言葉に、視線を向ける。






『・・・右手をふりあげた時。黒川先輩が言ったの。・・ピアノ、もう聞かせてあげられない・・ごめんなさいって・。』








沙織が、涙で滲んだ目を細めて、ふと顔をあげる。







『あんな時でも、黒川先輩は自分のことじゃなくて俊くんのことを考えてた。その時思った。・・もう敵わない。あたしじゃきっと、ここまで考えられないって。』






沙織が遠くを見ながら、ふと笑みをこぼす。






『佐山先輩が言ってた言葉。本当だったって。わかった。』






こちらを見て、涙目のまま微笑んだ。







『沙織ちゃん・・・。』






今まで見たことのないような、優しい透き通った目で、沙織は微笑んだ。







『あたし、黒川先輩に謝ろうと思う。今までのこと全部。』






ふっきれたように、清々しい表情で沙織が大きく深呼吸した。








『・・そうだな。』




沙織の表情を見て、安心したように息をつき、


微笑んで同じ遠くの空を見た。






『あの二人は、きっとうまくやっていける。結ばれるべくして、一緒になったんだと思うよ。』






煙を吐き出しながら、沙織を見ると、



そうね、と沙織が優しい笑みでこちらを見た。











『また新崎も、可愛い従妹にそこまで言うとはな。』



ふっと、苦笑いしながら煙草をふかすと、
沙織がつぶやいた。





『それくらいのことしたんだもの。・・言われて当然よ。』





自分にため息をつくように言葉をこぼすと、突然。



深刻な目をして沙織がつぶやいた。











『・・・俊くん。すごく冷たい目をしてた。』








沙織の言葉に、一瞬息を止めた。








だが、ふと笑って返す。






『新崎も、ちょっと感情的になっただけじゃないか?気にしないでも・・』

『そういう目じゃないの。』



ゆっくりと首を横に振り、沙織の表情が怪訝そうに変わる。








『怒ってるのはもちろんだろうけど・・・。うまく言えないけど、そういうんじゃなくて。』




沙織が思い出すように目を細める。










『・・・そういうんじゃなくて?』




しばらく黙ったあと、言葉を返した。












『すごく、残酷な目に見えた。

一瞬だけ。』







ーーーーー。






沙織の言葉に、一瞬、心臓の鼓動が止まりそうなほど、息がつまる。





・・・・・・。










『まわりのものを全て否定するような・・。冷たくて、まるで感情なんてないような・・。残酷な目。』










思い出すように視線を落とす沙織から、その時の空気が伝わってくるような気がした。













・・・・・・。







軽くため息をついて、煙草の煙をふかす。





ゆっくり煙を吐き出しながら、

体の向きを変え、夕暮れの遠い景色を見つめた。










『・・俺、あいつと一緒にいて、もう何年になるかな。』





言葉に沙織が顔をあげる。



ふと、視線を落とす。










『今まであいつの近くにいて、一度だけ。

・・・あいつのこと、恐ろしいと思ったことがあるんだ。』









沙織が、伺うように目を細めた。







『恐ろしい・・・?』










煙を吸い込み、その時を思い出すように、手すりに肘をついた。



 
 


『昔。・・入社して間もない頃。同期の何人かで飲んでた時。店のなかで小さなことから、厄介なやつらに絡まれたことがあるんだ。』






煙をゆっくりと吐き出す。









『突っかかってきたのはやつらのほうだ。酒も入ってたこともあって、俺たちも相手にしてしまったんだ。でも、途中でこれは相手がまずいと思って・・。逃げる隙を伺ってたんだ。・・・そしたら、ずっと隣で黙ってたあいつが。』 









沙織が俺の顔を見たまま、眉をひそめる。










『突然目の前にあったフォークで、突っかかってきた相手の足を突き刺したんだ。』










俺の言葉に沙織が目を見開き、一瞬にして固まる。











『・・驚いたよ。突然のことに言葉が出なかった。その場にいた全員が目を見開いて動きを止めた。でも、あいつは。』








煙をゆっくり吸い込み、吐き出す。










『すごく冷静で。表情ひとつ変えず、ゆっくり血にまみれたフォークを床に落とした。』




  





沙織がこちらを見たまま、微動だにしない。





俺が頭の中で浮かべているその時の光景を、想像し固まっているかのように言葉を発しない。




 






『足を抱えて苦痛に顔を歪めているのを、見下ろしてるあいつの目を今でも思い出せる。』











沙織の表情がなくなる。









『人間に、こんな冷酷な目ができるのかと思った。

背中が凍りついて身動きできなくなるような。・・・あの時のあいつは、そんな残酷な目をしてた。』













遠くを見ながら、最後の煙を吐き出した。










『そう見えたのはほんの一瞬だけだ。

それからは一度も見たことはない。あいつの目からそれを感じたのは、あの時も俺だけだったのかもしれない。


そのあと掴みかかってきた他の仲間を、店の外であいつ一人で片付けて。

相手の仲間は様子を見て逃げてった。』







煙草の火を消す。





『俺らはただ呆然と見てただけで何もできなかった。そのあと。ふと、俺らを見たあいつの表情は、またいつものあいつだったから。一気に力が抜けたよ。』







ふと、いつもの笑顔に戻り沙織に目を向けると、


沙織は何かを思い詰めるように、ゆっくりもう暗くなった景色に視線をうつした。




 






しばらく何かを考えるように黙りこんだあと、





 


『・・黒川先輩なら。俊くんを変えられるかもしれない。』









沙織がぽつりとつぶやいた。









『黒川先輩なら、俊くんを救ってあげられるかもしれない。』







まっすぐ景色を見つめる沙織を見て、ふと空を見上げた。








ゆっくり息をつく。





薄暗い空には、少しずつ星が輝いていた。








『・・・そうだな。』








腕を組んで星を見る。








『莉菜ちゃんとなら、あいつはきっと自分を越えられる。莉菜ちゃんならきっと、そんなあいつを受け入れる。』






二人を思い浮かべ、微笑みながら、そのまま足元に視線を落とす。





 

『あいつらなら越えられるって、俺は信じてる。』







沙織を見る。







視線に気付き、沙織がこちらを見て、


ふと安心したように微笑む。








『そうね。あたしができることで、黒川先輩の力になりたい。』






沙織が、自分のしたことに痛みを感じるかのように

切なさを秘めた表情で空を見た。







『沙織ちゃんなら、知ってるんじゃないの?あいつが、何に囚われてそんな風になったのか。』




 


俺の言葉に沙織がまっすぐ星を見上げたままつぶやいた。







『きっと。一つしかない。』






沙織の表情が、決意したような強さに変わる。








『黒川先輩に伝えたい。それが、二人のために。なるのなら。』








沙織の表情を見て、




一緒に、同じ空を見上げた。





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