Cross Over
『急に声をかけてしまって、申し訳ないね。』
男性がふと、後ろを振り返る。
『お友達と、約束があるのかな?』
後ろに腕を組み微笑んで、こちらを振り返る。
『いえ、下で待ってくれてるので。大丈夫です。』
この人は・・・・
あっ・・。
ふと思い出した途端、背筋を伸ばした。
クラシック雑誌や、記事で見たことがある。
確か、国際芸術協会の・・
名前こそ思い出せないが、ピアノやクラシック音楽の、
協会理事という肩書きの上にあった写真を思い出す。
この人だ・・よく雑誌の写真で見る・・
高そうなスーツに身を包み、
白髪の髪をきっちりとオールバックに整えた、まさに紳士というにふさわしい風貌。
上品で落ち着いた雰囲気、オーラをまとったその眼鏡の奥には、
優しそうに微笑んだ目がこちらをまっすぐ見つめていた。
こんなすごい方が・・私に何を・・
一気に背筋を伸ばし、緊張した面持ちをした私にふっと笑みを向けると、
ホール通路の窓から見える広場のほうを見つめて、話し出した。
『率直に結論から伝えたいんだが』
後ろに腕を組んだまま、ゆっくりとこちらを見る。
『君の曲を世の中に音源として残さないかね?』
・・・・
え・・?
男性が広場に視線を移し、言葉を続けた。
『先ほどの演奏は素晴らしかった。』
『あっ・・・ありがとうございますっ』
慌ててお辞儀をする。
『あの曲は、君が作ったそうだね?』
ゆっくりうなずく。
『・・・そうです』
答えに微笑んだあと、少し視線を下に落とした。
『あの曲からは人の意思が感じられる。』
窓の外を見る表情が、少し曇る。
『嬉しさや幸せ、愛情。だがその中にも、悲しみ、憤り。切なさから心をかき乱すような心情が含まれている。』
・・・・
ふと男性が落ち着いた表情に戻り、こちらを見る。
『あの曲を世に出さないのは、あまりにも勿体ない。』
ふと笑ったその目が優しく細められる。
『そんなっ・・・すごく嬉しいですが・・・あたし・・』
突然のことに、動揺し言葉にならない。
『返事は、考えといてくれたまえ。』
男性が後ろを振り向いた。
『いい返事を、期待しているよ。』
こちらに顔を向け、その一言を残し、
通路の奥、人の波に紛れていった。
『・・・・・』
呆然と立ち尽くす。
『莉菜』
消えていったその通路の奥を見つめていると、ふと背中から声がした。
『新崎先輩・・・』
ケータイを持った先輩がこちらに近付く。
『思ったより時間かかってるから。なんかあったのかと思って。』
先輩が不思議そうに顔をのぞきこむ。
『・・・どうかしたのか?』
先輩の手が頬に触れる。
『・・いえっ。ちょっとお話ししてて。』
頬に触れた先輩の手をとり、ぎゅっと繋ぐ。
『すいませんっ、すぐ着替えて行きますっ。』
先輩を見上げて微笑むと、ふと先輩が安心したように微笑んで目を細めた。
『ああ。俺、ここで待ってる。』
はい、とうなずき控え室へと戻った。