呉服屋の若旦那に恋しました
「もう彼の時間を奪っちゃいけないと思った。だからまた期間を設けた。1年間で、衣都と思いが繋がらなかったら、もう近衛家から離れて、自分の幸せを探すことに力を注いで欲しい、私はもうこれ以上、あなたの想いに責任を取れないからって……っ」
「……志貴は、志貴はその時なんて言ったの……?」
「彼は、1年間で良いと言ったわ……それでもし駄目でも、遠く離れても、衣都を大切に思う気持ちは変わらないし、藍さんも、何も責任を感じなくていい、と……」
「え……」
「1年間衣都と過ごす権利がもらえるだけで、十分だって……っ」
もしかして、志貴が4年間会えなかった理由を話せなかったのは、藍ちゃんを庇うため……?
私の頬を、静かに涙が伝った。
私は、盛大に勘違いをしていた。
志貴が22年間注いでくれた優しさを、愛情を、すべて無駄にするところだった。
「そんな健気な彼の言葉に、私は初めて彼の幸せを願った。だから余計あたりが強くなってしまった。だって見えていたからっ…いつか事実を知った衣都が傷つくことも、志貴君を傷つけてしまうこともっ……」
「藍ちゃん……っ」
「2人に幸せになってほしいのに、ただそれだけなのに、私がしたことは全て間違ってた……っ、2人の幸せは、2人が決めることだったのにっ……余計な心配して結局二人を傷つけた……ごめん、ごめんね、衣都……っ」
私は首を大きく横に振って、藍ちゃんに抱き着いた。
やっと、真実をすべて回収できた。やっと、1つの絵が完成した。
思い描いていたものと、全く違うものが完成した。
こんなにあたたかい沢山の優しさに包まれて、私はずっと生きてきたんだ。
知らなかった。
何も分かっていなかった。
志貴のことも、藍ちゃんのことも、全ての事実を知ったうえで、私達を見守ってくれていた人たちのこと。
「……人を好きになるってどういうことか、恥ずかしいけど、私はやっと、つい最近分かったの…。今の婚約者と出会って……今までただのきれいごとだと思っていたけど、本当に好きになると、その人の幸せを一番に願えるのね……」
そう呟いて、藍ちゃんは小包を、しっかりと私に持たせた。
「志貴君は、いつも衣都の幸せを第一に願ってた」
ずっしりと重たいそれの包装紙を、私はゆっくりと開けた。
……そこには、20冊もの大学ノート……志貴の日記帳が、あった。
「ごめんね、衣都、私のことは許してなんて言えないけど、志貴君とはもう一度向き合って欲しいっ…彼の過去の一部だけを見て離れないで欲しいっ…」
「そんな……許すなんて、藍ちゃんは、私にとってずっと頼りになる大好きなお姉ちゃんだよ……」
「……衣都」
「ずっと心配してくれて、ありがとうっ……」
そう言うと、藍ちゃんは……お姉ちゃんは、ぼろぼろと涙をこぼした。
お姉ちゃんはずっと、ずっとずっと責任感と戦ってきたんだね。たった一人で。私達の幸せの為に。
ありがとう。
ありがとう、お姉ちゃん。
私は、何度も何度も胸の中でそう唱えた。
「……読んでくれる……? 彼の、志貴君の、過去を」
彼女は、震えた声で最後にこう問いかけた。
私は、大学ノートを胸に抱え、ゆっくり頷いた。
藍ちゃんが、私を最後に一回抱きしめて、部屋から出ていった。