呉服屋の若旦那に恋しました
「衣都!」
―――でも、駅に向かう途中、志貴に見つかってしまったんだ。
志貴は路肩に車をとめて、逃げようとした私を捕まえた。
いけないことをしようとしていた事がバレてしまった焦りと、なんでこんなことまで志貴に注意されなきゃいけないんだという怒りが、一気に私を燃え上がらせた。
「なに、なんでいんの?」
「いいから帰るぞ、話はあとで聞くから」
「やだ、離して! うざい!」
「じゃあ今ここで納得できる理由を話しなさい」
「彼氏に会うの! それの何が悪いの?」
「悪いことやなんて俺は一言も言うてへん。悪いことかて分かってるから、内緒で抜け出したんやろう?」
「志貴には関係ないじゃん!!」
「……」
―――言ってからハッとした。
志貴は眉一つ動かしていなかった。
私だけが、動揺していた。罪悪感と焦りで、もうパニックになっていた。
志貴は、そんな私の心境を全部汲み取ったかのような表情で、『車に乗りなさい』とだけ言った。
私は、大人しく車に乗って、家に帰った。その日から一ヶ月後、なんだか住む世界が違うことに気付いて、彼氏とは別れた。
彼氏と別れたことを、なんとなく志貴に告げると、志貴は『そうか』と言って、静かに微笑むだけだった。それ以上は何も聞いてこなかった。
今までの人生で、志貴に関係の無いことなんて、ひとつも無かったのに。
私の部活の顧問の名前も知ってるし、幼稚園の先生の名前も知ってるし、親よりも先に志望校を教えたのに。
そんな人に、私はよくそんなことが言えたものだ。