呉服屋の若旦那に恋しました


久々に聞いた“志貴”という名前に、私は言葉を詰まらせた。

この4年間、一度も声にしなかった名前。

この4年間、一度も会っていない人の名前。


「あら、もうすぐ駅につく時間やわ。衣都ちゃんはここで待ってておくれやす」

「あ、はい!」

「ほなまたすぐに」


静枝さんは、にこっと微笑んで、私のお父さんと省三さん(静枝さんの旦那様)を迎えに行った。

私は、縁側に座って、美しく整えられた庭園を眺めた。

そしてそっと目を閉じて、数年前のことを思い出した。


“衣都、ちびっとやけ、ほんのちびっとん間やけ、志貴君と距離をあけられへんか? ほんのちびっとやけや。志貴君に、頑張る時間を与えてやってくれんか?”


京都の大学に進学するか、東京の大学に進学するか、迷っていた時。

突然父に、そう言われた。

高校生だった私は、その言葉の意味が、全く分からなかった。

少しの間だけ、志貴君とは会えなくなると。距離をあけてほしいと。そう、頼まれた。

私が生まれた時から私の面倒をみてくれた、ご近所に住むお兄ちゃん。

何故今更距離をおかなければならないのか。

私は疑問でいっぱいだったが、父のその表情を見た時、“大人の事情”ってやつなのだと、17歳ながらに、納得した。

沢山の疑問を抱えながら、私は、東京への進学を志望したんだ。



「志貴、元気かな……」


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