呉服屋の若旦那に恋しました
でも、あまりに志貴が普段通りなので、あれ、もしやあのキス事件は私の幻想? 妄想? 少女漫画の読み過ぎ? それとも欲求不満?
……という風に深く考えているうちにどうでもよくなり、私もあの日のことを考えるのをいつしか放棄した。
志貴はあの日以来キスなんかしてこないし、手も握ってこないし、触れても来ない。
だから今、志貴に触れられているのが久々過ぎて、少し緊張する。
「衣都、ちゃんとドライヤーで乾かしてから寝てるか?」
「う」
「まさか自然乾燥とかさせてんじゃないだろうな」
「いやいやいや……いいじゃん夏だし、すぐ乾くし……」
「髪傷むやろが! 充分にタオルドライしてからすぐに根元から乾かしなさい!」
「女子力高っ、なんなの本当その情報どこから得たの」
しょうもないことで騒ぎながらも、私は、初めて志貴にお化粧をしてもらった日のことを思い出していた。
そういえばあの時も、ガチガチに緊張していた。
……でも今は、あの時の緊張とは少し違う。
緊張と言うより、意識してしまっている、という方が、しっくりくる。
私の頭を軽く包み込んでしまえるくらい大きな手が、優しく私の髪をまとめていく。
鏡越しに志貴を見るたびに、なんだかドキッとした。
あれだ……。よくあるやつだ。好きじゃないけどノリでキスしちゃったから好きかもって女の子側だけが盛り上がっちゃってるやつだ……。
私はそういう話を友人からよく聞いていたし、勘違いしちゃうのは女の子側だけだってことも教わっていた。
時間が経てばこの感情もどんどん薄れていくはずだ。
だって、志貴だよ……?
結婚したいとか言ってたけど、私が赤ちゃんの時おむつを替えたりしてくれた人を好きになるとか、それはないわ……。
なのにどうしてこんなに、目が彼を追ってしまうのだろう。
「よし、でけた」
「わあっ、すごいいつの間に!」