呉服屋の若旦那に恋しました
――――あの、志貴が、いつも優しい志貴が、面とむかって大嫌いと言った。
その衝撃は、幼い私には充分な破壊力だった。
怖かった。知らない人みたいだった。志貴が、初めて怖いと感じた。
志貴に手を繋がれてその場を去ったけど、力が強すぎて痛かったし、歩幅は大きくてついていくのが大変だったし、コロコロアイスを買ってくれるって言ったのに、そのまま家に直帰だった。
幼い私には、とても衝撃的なことだった。
志貴の低い声より、冷たい瞳より、力強い手より、何よりも怖かったのは、志貴の言葉だった。
“俺、そういう人傷つける嘘つくやつ、大っ嫌い”。
私は、その日、過去に志貴についてしまった嘘を思い出して震えた。
志貴に嫌われるかもしれないと、本気で悩んだ。
でも、あの嘘は、仕方なかったんだよ。
―――志貴が、今にも壊れそうな顔をしていたから。
だから、彼を守るために嘘をついてしまったんだ。
だって、あの時嘘以外に彼を守る方法が、見つからなかったんだよ。
どうしても、見つからなかったんだよ。
「……志貴、そういや中本さん明日少しだけ遅れるかもしれないって」
私の言葉に、志貴は全く反応しなかった。
志貴は、子供用の浴衣を見ながら、ぼんやりとしていた。
今日は昼から雨が降り、お客さんがあまり来ず暇だった。
私は着物の勉強をしたり、掃除をしたりして過ごしていたけれど、志貴はどこかずっとぼうっとしていた。
着物のレンタルの管理をしたり、デパートでの展示会の話や、美鈴さんの着物教室で貸す着物のことなど、仕事はきっちりこなしていたのだが、心ここにあらず、といった感じだった。
志貴はそういうことがわりとよくある。昔から。
いつもは私の言葉にすぐ反応してくれるのに、夏が近づくと志貴の心はどこかへ行ってしまってるような気がする。
こういう時は何を言っても生返事しかされないと分かっているから、私は黙っていた。
「衣都ちゃん、お疲れさん」
「静枝さん! お疲れ様ですっ」