呉服屋の若旦那に恋しました


「衣都ちゃん、ちょっとお留守番しててくれる?」

「あ、はい! お花買いにいかれるんですか?」

「ええ。ごめんね、少ししたら帰ってくるから。さ、志貴車出して」

「歩いて5分とこやん」

「嫌や濡れるわ」

「はいはい」


志貴は気だるそうに車の鍵を取りに奥の部屋に行った。

静枝さんは、あまり状況を把握しきれていない私に、


「命日なんよ、今日。桜の」


と、言った。

私は、ああ、今年ももうその時期か……と、薄々感づいていたことに納得した。

桜ちゃんとは、志貴の妹だ。……たった一日しか生きれなかったけれど。

もし今生きていたのなら、19歳。私と年も近いし、きっと凄く仲良くなれただろう。

桜ちゃんが生まれてくると知った時、私のお母さんは凄く喜んだらしい。衣都もついにお姉ちゃんねって、私の妹じゃないのに。


私も、会いたかったな。

会ってみたかったな。桜ちゃんに。


志貴が、夏が近づくとぼんやりし出す理由は、やっぱり桜ちゃんだったんだ。


「行くぞ」

「ほな衣都ちゃん、いってきます」

「はい! 気を付けて」


車を店の前につけた志貴が静枝さんを呼んだ。

静枝さんは柔らかく微笑んで、店をあとにした。

残された私は、車が角を曲がるまで見送った。


「一人だ……」


残された私は、湯のみと傘たてを閉まって、奥の部屋に向かった。

長い縁側を志貴に習った通りの歩き方で歩く。

左手に一望できる立派な庭は、雨に打たれていた。

蓮池は水を増し、五郎は犬小屋にこもりきっている。

3月は白い花を咲きほこらせて、花の重さでしなっていた雪柳も、今は緑色に姿を変え、雨の重さに耐えて揺れている。

寒そうにふるえている五郎が心配で、私は縁側に座り込んで五郎を見つめた。

犬も雨は嫌いなんだろう。私も雨は大嫌いだ。

湿気で髪がうねるのも、雨に濡れた土の匂いが立ち込めるのも、ザーッという無機質な雨音も、何もかもが私を暗い気持ちにさせる。
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