喩えその時が来たとしても
『チガウ違うチガぁう、違うぞ哲也! 情けは人の為ならず、ってのは確かに……人に良い事をすれば自分に帰ってくる、という意味でも使われる。だが本来は人(他人)を甘やかしてはその人の為にならん、という事だ。なのにお前は自分の運を人の為ばかりに使ってしまっていた。そしてそれはもう、底を尽き始めている……って……それはどういう意味ですかお兄様っ! ……なんで黙ってるんですか!』
端で見ている分にはハムスターが喋っているのも黙っているのも変わらないのだが、それっきり兄スターは喋らなくなってしまったらしい。
「なあめぐ。一先ずお茶を飲まないか。すっかり冷めてしまった」
「ええ……でもちょっと待って……」
飲み頃に淹れた筈のお茶はもうぬるくなってしまっていた。だが馬場めぐみは真剣な顔をして雅マサスターを見詰めて頷いている。どうやらやっとまた話し始めたようだ。
「それは……私がイケナイんですね?」
「どうしためぐ、めぐの何がいけないんだって?」
馬場めぐみは兄貴の言葉を噛み締めるようにまた頷くと言った。
「お兄様が言うには、運は使い切ったら即ち……死が訪れるそうなの」
「じゃあもう運を使わなければいいだけの話じゃないか」
運が無くなれば自らが生きて行けないというなら、人の命を救っている場合じゃない。
『だから言ってるだろう。お前の運はダダ漏れなんだ! それはお前がどうこう出来る問題じゃない』
「それに先輩は私と付き合う為、更に多くの運を使ってしまったんですって!」
『だから一刻も早く運袋を閉じなければいけないんだ』
運袋を閉じなければ、ダダ漏れの俺の運は尽き、結果俺は死ぬ。先月受けた健康診断でも、オプションで付けた癌検診でも異常は見付からなかったのにもかかわらずだ。それではなにか? 俺もあの相馬龍之介のように、運悪く事故に遭うって事か。それとも風邪を運悪く拗らせて、肺炎を起こし、運悪く手遅れになるのか。或いはただ歩いている時に運悪くコケて、運悪くそこに鋭く尖った石が牙を剥いていて、運悪く眉間を貫かれるのか。それらを防ぐ手立ては無いのか? 運が無ければ無理なのか?
「畜生、もう何が何だか!」
既に俺の理解力は限界を超えていた。
「なんで開いたのかも解らない運袋の、見えもさわれもしない口を一体どうやって閉じればいいんだ!」
兄貴はまたうろちょろとケージ内を走り回る。
『原因の予想はおおかた付いている』
一瞬振り返った兄スターは、それきり小屋に閉じこもってしまった。