喩えその時が来たとしても
『めぐみちゃん。どうやら味だけじゃなく焼き肉の臭いも駄目みたいだ。玄関少し開けて、換気してくれねえかな』
お兄様は先輩の命の恩人。そのたっての願いとあらば無下にも出来ない。有る筈も無いけど、招かざる客の訪問が無いよう、一応用心の為にドアチェーンを掛けてから、扉に私のスニーカーをねじ込んだ。
『それと哲也、また氷入れてくれよ。肉が喰えなかったんだ、せめて水位は旨いのを飲ませてくれ』
先輩は「飲み過ぎたら腹壊すから駄目だぞ」と言いながらケージを開けた、その時だった。お兄様が脱兎のように駆け出して、いえ、脱ハムのごときスタートダッシュで(そんな言葉は無いわっ!)するりとケージから抜け出したの。
「おいっ! 兄貴、何してんだ!」
『悪い、哲也。もう時間が無いんだ』
お兄様は後ろ足で立ち上がり、一際勇ましくチュチュッと鳴いて、私が開けた玄関の隙間から外へチョロチョロと出て行ってしまった。
「兄貴! 戻ってこい!」
急いで後を追い掛けようとした先輩だけど、私がドアチェーンを掛けたばっかりに、それを外すのに手間取っていて一向に扉が開かない。
「畜生! 落ち着け、俺」
先輩は手を止め大きく深呼吸すると、今度は難なくチェーンを外して表へ飛び出して行った。
「おい兄貴っ! 何処だっ? 戻ってこ……」
ドタドタと足音もけたたましく先輩の声が遠ざかって行った。
私の脳は、何が起きたのかを理解はしていても、その事態を打開するために何をしたらいいのかが解らないらしい。指示系統が上手く機能していない私の身体は、人形のように動きを止めてしまったの。
「……ぐ、めぐ! 早く!」
またドタドタと足音が近付いてくる。
「はぁ、はぁ、めぐ、悪いけど、はぁ、一緒に兄貴を探してくれないか、はぁ、はぁ……」
ドアが開いて息を切らした先輩が、懇願するかのように私を見詰めている。
ああ、こんな非常時なのにナンテ貴方の声はセクシーなの? ……いえ、駄目よ。今はお兄様を探す事が一番だわっ!
「あっ、ああ……先輩、私……剰りのことに動揺してしまって……」
「いいんだ。悪いのはクソ兄貴なんだから。二人で手分けして探そう」
漸く通常の神経回路が繋がった私は、先輩と一緒に部屋から飛び出した。
「お兄様、何処ですかぁっ?」
「兄貴、皆でもう一度考えよう。そうすればいい答えが見付かるかも知れないじゃないか!」