喩えその時が来たとしても
あそこの最上段と言えば七段はある。少なく見積もっても12mはある筈だ。ラフターを据える為に中庭は全面鉄板敷きになっている筈だし、運良く土の面に落ちたとしても12mの高さからだと……。
「岡崎先輩……」
「先ずは現状確認だ。考えるのはそれからだ」
「はい」
言われるままに先輩の後を追う私。ああ、この現場はただでさえ工期が少ないのに、これで労基署(労働基準監督所)の査察や警察の捜査が入ったりすれば、更に厳しい作業環境となる。
所長が事故の責任を取らされるのは当然としても、岡崎先輩の負担が益々増えるのは目に見えている。
「誰が落ちたんですか!」
中庭に着いて先輩は辺りを見回しながら叫んだ。いつものソフトなセクシーボイスからはうかがい知れない程の声量と鋭さだった。
「いや……岡崎さん、それがね……」
トビの職長、生形ウブカタさんが申し訳なさそうにノソノソと歩み寄ってくる。当然だろう、自分の所の職人が事故を起こしたのだ。職長である彼にも多大な責任が有る。だけど怪我人は何処? もう何処かへ運んでしまったの?
「生形さん、おたくの誰が落ちたんですか? 今何処にいらっしゃるんですかっ?」
「……いやぁ、それが……」
こんな時に生形さんは、うっすら笑みを浮かべて頭を掻いている。ナンテ人なのっ?! 私はいつの間にか固く拳を握り締めていた。
「いいですか? 労災隠しは犯罪ですよ? 取り引き停止とかを気にされているなら、絶対そんな事にはなりませんから、正直に話して下さい」
「あはは……実はね……」
こんなに親身になって真摯な対応をしてくれている先輩をよそに、生形さんはちっとも態度を改めない。もし先輩からお許しが貰えるなら、生形さんに飛び付いてその顔を引っ掻き回してやりたい位だった。だけど次に彼の口から出た言葉に、私達は驚愕した。
「落ちたのはさ、俺なんだよ」
「はぁ? じゃあ足場の低い所から落ちたんですか?」
見た所生形さんには何の怪我も無い。足場の最上段から落ちたとは到底思えなかった。
「いや……一番テッペンから落ちたさ。安全帯が切れてな。力を入れて踏ん張ってたから、勢い余って足場から飛び出して真っ逆さまさ」
「ほんとだよ。俺も見てた」
同じトビ職の山内さんだ。一段下の足場から、上の段に居る生形さんに材料を渡していたらしい。
「手を伸ばしたけど、全然届かなかったんだよ。あっという間に落っこってった」