喩えその時が来たとしても
「先輩と別れて、私が幸せになれるとでも思うの? こんなに互いを思い合っているのに、なんで別れなきゃいけないのっ?!」
馬場めぐみは泣いていた。それより前に、俺も堪らず涙を流していた。
いつもならとうに寄り添い合ってお互いの温もりを感じている頃合いだが、今日ばかりは誉めたい位に俺の理性が頑として譲らなかった。
「俺のせいでめぐが死んだりしたら、それこそ俺が死んでも死に切れないじゃないか。頼む! 俺を思ってくれているなら、俺と別れてくれよぉ……」
遂に俺は号泣して、馬場めぐみに縋っていた。彼女は泣きじゃくって、イヤイヤを繰り返した。
「お前の事が好きなんだ。好きだからこそ、愛しているからこそ、幸せになって欲しいんだ!」
「だからぁ、私の幸せは先輩とじゃなきゃ有り得ないの!」
「愛した女を道連れに死んで、俺が浮かばれるとでも思ってるのか?」
「愛する人を見殺しにして、私が幸せになれるとでも思っているの?」
俺達は泣きながら、付き合って初めての大喧嘩をした。お互いの胸の内が手に取るように解るから、形勢は拮抗したまま平行線を辿っていた。
そして……。
「めぐ。お前がそんなに分からず屋だとは思ってもみなかった。そんな女とはどっちにしろやって行けやしない、お別れだ」
「先輩だって頑固過ぎる! なんと言われようと別れる気はないわ」
「いいからもう帰ってくれ。それともうここにも来ないでくれ!」
俺は断腸の思いでそう言い捨て、嫌がる馬場めぐみを強引にドアから押し出した。女座りでヘタリ込んだ彼女の脇に、愛用のナップザックを放り投げた。
「忘れ物が有ったら宅急便で送ってやる。これを持って帰れ」
心の中で「愛してる愛してる」と繰り返しながらも、冷たい態度で彼女を突き放す。いいんだ、これでいいんだ。馬場めぐみを巻き添えにしないのが愛なんだ。
しかし彼女は諦めない。安普請のスチールドアをドンドンと叩き、泣き喚き続ける。
「先輩、開けて! 先輩ったらあ!」
終いには住人から「五月蝿い!」と一喝され、彼女は押し黙った。それから小一時間はドアの前に立っていただろうか。彼女の気配が感じられた。今日は風が強いから、体温が奪われてしまわないか心配で、危うく上着を持って出る所だったが、心を鬼にして耐えた。
「……お休みなさい……」
蚊の鳴くような小さい声で言うと、馬場めぐみは帰って行った。