喩えその時が来たとしても
仕事を辞めて引っ越したのは正解だった。実家の話はしていなかったのが幸を奏した。
俺の半身たる馬場めぐみを、半端な覚悟と手段で切り放す事など出来ないと思っての決断だった。確かに親には迷惑を掛けるが、それは恒久的な物ではない、それにそう大して長い期間にはならないだろう。
互いの昔話や家族の話になると俺は大抵聞き役に回っていた。彼女の家族は話題に事欠かない愉快な人達で、その話を聞いているのが俺は楽しかった。いや、彼女が嬉々として話すのを見ているのが何にも代え難い幸せな時間だったのだ。
結果として、彼女に実家や過去の手掛かりを与えなかった事は、今になって大きな成果となっている。
会社の元同僚や不動産屋からの情報に依ると、馬場めぐみは俺のその後を追って、色々と調べ回っていたようだ。彼女の事だ、何らかの繋がりを残していたらすぐに俺の居場所を突き止めていたに違いない。そうなっていたらと思うと全身が総毛立つ。
それはつい先週の事だった。何の気もなしに道を歩いていたら、カーブを曲がり損ねた車が俺のすぐ後ろの壁に突っ込んで大破した。うまい具合に俺への実害は無かったが、もしもその時、いつものように馬場めぐみと歩いていたとしたらどうだ……俺の後ろにくっ付くようにして歩く彼女は、壁と車に挟まれて、とても無事ではいられなかっただろう。いや、あの車の壊れようからして、生きている方が奇跡だったろう。
俺はその時、まだもうもうと土煙の上がるブロック塀を覗き込み、そこに血まみれで倒れている彼女の幻影を見て身震いした。
半ば極端に過ぎるとも思えたこの選択は、見事に的を射ていたのだ。馬場めぐみは俺と離れるべきだったのだ。
あれから依然、杳ヨウとして兄貴の行方は解らず終いだ。とはいえ、運の尽きをただ待って死ぬほどに人生を達観していない俺は、思い付く限り今まで詣った神社仏閣をリストアップし、そこに阿吽の門番が居るかを調べ、片っ端からお詣りするという生活をしていた。
だが当然、何の手応えも結果も残せてはいない。当てずっぽうに動いた所で俺の運は尽き掛けているのだ。ラッキーで俺の運袋を閉じてくれる吽ウン仁王を見付け出す事など出来る筈がない。
「兄貴、雅也兄貴。兄貴は転生に失敗したのか? どうしてあれから何の音沙汰も無いんだ!」
頼みの綱はやはり兄貴からの情報なのだ。それが無ければ運の無い俺が答えに辿り着く事など出来ないのだ!