喩えその時が来たとしても
「畜生! 買ったばかりの服だったのに! どこのどいつだ、絶対探し出して訴えてやるからな!」
俺は頭から湯気を噴出させながら上階に向けて怒鳴った。そうだ。証拠品を保存しなければ!
「あのお……」
「邪魔しないで貰えますか、今忙しいんで……」
声に振り返りもせず答えると、
「すいませんっ! 私の不注意でっ!」
見ると三十路後半だろうか、妙齢の女性が深々と頭を下げている。
「水やりをしていて、肘で植木鉢を倒してしまったんです、本当にすいません」
長い髪を振り乱して必死に頭を下げている彼女。慌てて駆け降りて来たのだろう、細身の身体にまとっているのはパジャマ一枚きりだった。
「い……いや、幸い泥はねだけで済んだので……」
てっきり悪質な犯人だろうと思い込んで息巻いていた俺は、怒りのやり場を失い、すっかり勢いを削がれてしまった。
「まあ大変! 洗濯します。お手数ですが家にいらして貰えませんか?」
あたふたと服の汚れを確認する彼女。断じて覗くつもりは無いのだが、服の合わせ目から下着がチラチラと見え隠れする。
怒りのやり場に加え、目のやり場にも困ってしまった俺は、彼女に言われるままお宅へお邪魔する事となった。
「……散らかってますけど、すいません。どうぞ、お掛けになって」
そう言って勧められたリビングのソファー。その言葉とは裏腹に、チリのひとつも無い清潔なものだった。
「ちっとも散らかってないじゃないですか」
「いえ、一週間振りに帰ってきたものですから」
革張りのソファーは薄いクリーム色。アーチ型の間仕切りを多用した地中海風の内装。アイランドキッチンに整然と並べられたグラスやカトラリーやパスタ、ハーブ類は装飾も兼ねている。
まるでモデルハウスか何かにお邪魔しているような気分になった。聞けば彼女は大手旅行会社の企画をされている方で、ツアコン時代に目で見てきた各国のお洒落な建物にインスパイアされ、部屋を改装したのだそうだ。
「お恥ずかしい話ですが……女やもめなもので、こんな所ばかりにつぎ込んでしまってるんです」
「いや素敵ですよ。マンションの一室とは思えないです」
彼女は謙遜しながらタオル地のガウンと、花柄のティーセットを持ってきた。洗濯の間に着ていて下さいと渡されたそれに着替え、薫り立つ紅茶を啜ると、自分がハイソなクラスの住人になったのではないかと錯覚してしまう。