喩えその時が来たとしても
それからの一日は、平静と寛容に努めてなんとか乗り切った。尖った態度を取ってしまった職人さんにも頭を下げた。
「本当にすいませんでした」
「いや、全然気にしてないから。こっちこそゴメンね」
今回はどうにか上手く行ったけど、現場を和ませなければならないポジションの私が現場の空気を悪くするなんて、役立たずどころか只のお荷物だ。使えないにも程がある。これからは気を付けなきゃ。
「大沼所長、お疲れ様でした。失礼します」
「お、馬場ちゃん。お疲れ~、明日も宜しくな」
所長はフレンドリーに返してくれる。高橋所長の頃とは違って、この現場はあまり決まり事が多くないから却って人間関係がスムーズに行ってるみたい。それにここは定時で上がれる貴重な現場だし、本当だったら工期の余裕が心の安寧を生む筈だと思う。哲也とオバサンのことも、もう少し大きな気持ちで受け止めようと私は決めた。すると、
「お~い」
誰を呼んでいるのか、でも聞き覚えのある声だ。
「お~い、めぐみちゃ~ん」
私? 何かしら。
歩調を遅くして振り返ったら、いい匂いの風が私を追い抜いて行った。
「キャッ!」
前に向き直ると渕さんが間近に立っていて、壁の様にそそり立つ渕さんの胸板に私の顔がぶつかってしまった。
「ごめんなさい」
「いや、俺も悪ふざけが過ぎた。でも大丈夫か? 鼻が真っ赤だぞ?」
私は色素が足りないので、ダメージを負った所がすぐ赤くなってしまう。鼻は大して高くないけど、顔の正面で一番出っ張っているのはやっぱり鼻だ。カチカチの渕さんの胸筋対私の脆弱な鼻とでは勝負にならない。多分ピエロのようになってるんだろう。
「大丈夫です」
そう答えた途端、私の鼻から熱い雫が滴り落ちた。
「大丈夫なもんか! 鼻血が出てるぞ」
「あっ、ヤダ。みっともない」
私が手でポタポタ落ちる血を受け止めていると、すかさず「これ使えよ」と渕さんがポケットティッシュをくれた。
「私、普段持ち歩かないんです」
そう言う私に「ハンカチ、ティッシュは身だしなみだぞ」と渕さん。
恥ずかしくて俯いていると「うそうそ、俺花粉症だからさ、必需品なんだ。ハンカチなんか持ってねえし」だって! 私を思いやって言ってくれてるみたいで、私の泉はまたジュンとなってしまった。
節操のない自分に嫌気が差したけど、哲也だってあのオバサンとよろしくやってるんだからおあいこよね。