喩えその時が来たとしても
 
「めぐみちゃん……だったよね……」

 私の尖っている(であろう)態度に、少し言葉の勢いが衰えた。でも、そう言えば覚えがある顔……。

 そうだ! 哲也から置いてきぼりにされたあの日、私に声を掛けてきたイケメンおじさまだ。名前はえ~と……。

「はいそうです、めぐみです……あの時はどうも……」

 喋ってる間になんとか思い出そうとしてるんだけど、倉田さんじゃなくて、倉持さんでもなくて……。

「その顔は……俺の名前を忘れたって顔だな」

「すいません。失礼ですけど……」

「ああ、無理もないよ……俺は勝手に『めぐみちゃんにはまたいつか会える』って念じてたから、覚えていただけさ。倉科クラシナだよ」

 そうだ、倉科さんだ。職人さんの名前と顔は、いの一番に覚えなきゃいけないものだと哲也から耳タコになる位に言われてたのに、職場じゃないから気を抜いてたわ。いえ、あの日の深酒のせいかも……。

「あの時一緒だった彼は居ないんだね。やっぱり駄目になっちゃったのかな? いや、こんな不躾な質問はいけないね。失礼失礼」

 ああ、私ったら『モテ期』なのかしら。そう言えば昼間、佐藤先輩からも改めてアプローチが有ったんだった。間延びした喋り方だったから内容はちっとも頭に入って来なかったけど!

「ええ、でも一応あの彼とお付き合いはしてるんです。わけ有って今は会えないんですけど……」

「こんな素敵なレディを放っておく訳って、どんな一大事なんだい? 国家存亡の危機とか?」

「そんな大層な女じゃありませんよ、フフフ」

 大袈裟だけど、褒められてるんだから悪い気はしない。それに……やっぱり倉科さんはイケメンだ。彼には渕さんに無い、ジェントルでスウィートなフェロモンが匂い立っている。

「ちょっと連れに断ってくるよ。中座ご容赦」

 軽くウィンクをして倉科さんは奥座敷へと引っ込んで行った。私はと言えば、今受けた倉科さんからのウィンクビームに貫かれ、微動だに出来ないままポカンと口を開けていた。

「あのウィンクはヤバイ! かなりの手練れだわっ」

 表情を変えることなく一瞬で射出されたビーム。相当なヤリ慣れた感、こなれた感が有る。だけどそれ以上に、ハートを射貫く威力が半端ないの!

 私は自分がカタカタと震えていることに気が付いた。寒いんじゃない、怖いのでもない。

 倉科さんの全力を以て愛された時の私を思って、貪欲な性の下部と成り下がってしまっただらしない私を思って、ただ怯えていたの。

 
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