喩えその時が来たとしても
 
 この駅は、栄えている南口とそうじゃない北口が有る。住宅街と商店街で賑わう南口とは逆に、旧街道に面した北口側は会社や工場等が多く、夜ともなれば途端にひっそりと静まりかえる。

 その地の利を生かしてビジネスホテルと、少し奥まった所にラブホテルが二軒建っているけど、さすがに思い切り地元なのでどちらも利用したことは無かった。

 倉科さんは足元の覚束ない私の腰を支えながら、北口へ出る歩行者と自転車専用の地下道を歩いた。

「倉科ひゃん、どこに行くんレすか」

「ああ、二次会はカラオケにしようと思ってね、嫌いかい?」

「好きれす。演歌もイケるくちれす」

 でもカラオケ屋さん。北口に有ったかしら……。いいえ、何年か前には有ったけど、今は100円ショップに変わっていた筈だわ。

「あのお……カラオケ屋、こっちには無いレすけろ……」

「いや、大丈夫。誰にも邪魔されず、思う存分カラオケも出来るし、DVDだって観れる所だから。酒を抜くのにお風呂も入れるぞ」

 ああ……そういうことなのね。そういうトコでああいうコトを思う存分されちゃうんだ、私……。

 でも酔いで身体が言うこと聞かないし、思考も上手く回らない。この窮地を脱出する名案が浮かばないどころか、窮地を窮地とも思っていない私が居る。

 フワフワと、とにかく気持ちがいい。心地好い脱力感は、貞操観念や罪悪感をも腑抜けにさせた。『カラオケをしに行くだけだから後ろ暗い所は無いわよね』なんて無理矢理自分を正当化してた。

「おっとっと」

 私は、よろけた拍子にトートバッグの中身を地面へばらまいてしまう。

「ありゃりゃ、拾ってあげるからね」

 倉科さんは優しく私に言うと、そそくさとしゃがみ込んで化粧ポーチやら軍手やら作業着やらをかき集めてくれた。あくまでもジェントルに、くれぐれもダンディーに……だけど……。

 壁にもたれて倉科さんのその姿を見ていたら、私の酔いは一気に醒めてしまったの。

「倉科さん、すいません。私、帰ります」

「えっ? 何? 俺何か悪い事した?」

「ご馳走様でした」

 呆けた顔の倉科さんからトートバッグを奪い取ると、私はさっき来た道を一目散に駆け戻った。

 彼の何が悪かったのかって? あの、私……頭の薄い男の人って駄目なんです。大嫌いな高校の数学教師を思い出すから。バッグの中身を拾ってくれている倉科さんの頭頂部は、その先生と全く同じように薄くなってたから……。


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