喩えその時が来たとしても
 
 牧村さんと初めて会ったその日の夜。俺はジャージの洗濯が済んでいるにも関わらず、夕食迄頂戴してしまっていた。

「こんなにして頂いて、却って恐縮です」

 聞いた事も無い名前の食前酒に始まって、細やかで色鮮やかな前菜、スープ、パスタ、魚と肉料理を両方(!)、デザート(ドルチェって言うのか?)のケーキにもソースとナッツ、食用花がお洒落にあしらってあった。あのグルメレポーターだったらやはり、『宝石箱』と表現するのだろうか。

「いつも独りで食事しているので、岡崎さんがいらして下さって楽しいんです。料理も普段は手抜きだし……久々に腕が振るえて私も大満足ですわ」

 キッチンに並んでいたハーブやパスタは只の飾りでは無かった。当然ながら料理が盛り付けられている皿は一目で高価な物だと解る高級品で、まるで創作イタリアンの店に居るような食卓は俺の生活レベルとの違いをまざまざと感じさせた。

「素人の域を超えてますよ。いやプロでも一流どころのシェフ級だ、見た目も味も最高です」

「お世辞でも嬉しいですわ。喜んで頂けて良かった」

「本心も本心ですよ。この素晴らしさを表す表現力が足りなくてもどかしい位だ!」

「フフフ」

 聞けば彼女のお母さんは某一流ホテルの料理人で、パティシエ(資格はショコラティエ)のお父さんとの職場結婚で産まれたのが牧村さんだったそうだ。しかし拘束時間の長い料理人という仕事柄、夫婦には中々子供が出来なかった。

 そして結婚から五年が経ち、やっと授かったお姫様である牧村さんを、彼女の両親は大層可愛がったと同時に、彼女はそのスキルを存分に注がれて育った。それで料理の腕が玄人裸足なのだという。

「あのホテルですか。そりゃ納得だ」

 皇居近くのそこは、誰でも一度は名前を耳にした事が有るだろう名ホテルだ。

「小さい頃から私も料理で身を立てていくのが当たり前と思っていたんですけど、両親が行った旅行先の話が楽しくて……気が付いたらツアコンになっていました」

 その時のノウハウを元に同僚達と旅行会社を立ち上げ、彼女が料理人目線で厳選したグルメツアーの企画が受け、その後もテレビ番組とのコラボレーションでヒットを飛ばし、みるみる日本屈指の会社にまでなったのだ。

「凄いです。そんなサクセスストーリーはテレビの中だけの話だと思っていたのに……」

「フフフ、それがね。岡崎さんと同じようなお話が私にも有るんです」

 牧村さんは謎めいた視線でチラリと俺を眺め、話し始めた。


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