喩えその時が来たとしても
 
 しおりさんに重ね重ねお礼を言い、満腹の腹を抱えて俺は帰途についた。帰りは遅くなると伝えておいたのに、スマホには『実家』『実家』『実家』『実家』と、鬼のように着信履歴が残っていた。さながらそれは、テレビで良く目にするストーカーからの履歴画面然としている。

「なんだよコレ、キモいんですけど……」

 しかし留守番電話が入っていない所をみると、本当に本物の急用ではないようだ。恐らく、兄貴について聞きたい事でも有ったのだろうと考えた俺は、遅まきながら実家に電話を入れた。ところが「何時だと思ってるんだ」と父から一喝されてしまう。ブツンと乱暴に電話を切られて時計を見遣ると十一時を過ぎていた。

「……そこまで遅くもないじゃないか……」

 確かに今は、仕事もせず、家に閉じこもっているニートではある。しかし、つい最近まで社会人をやっていたいい大人だ。それを少し帰宅が遅くなったからといってキレられるのは納得いかない。俺は思わず

「箱入り娘か、俺はっ!」

 と叫んだ。丁度高架下のトンネルで発されたその声は、真夜中の街にこだまして、暫くは喧しく辺りを騒がせた。

「ナァァァアオ」

 迷惑だとばかりに俺を睨んで鳴いた猫を石ころで追い払うと、ガチャンとガラスが割れる音。

「うわ、やっべえ!」

 咄嗟に逃げ出してしまう俺。深夜でひと気が無いのをいい事にその場を去るなんて、轢き逃げと同ランクの浅ましい罪だ。人として最低だ。

 走りながら「今なら引き返せる、今なら何とかなる」と自分に言い聞かせるが、何故だか足は動きを緩めない。

 そして息は上がり、足がもつれ始めて漸く、俺はよたよたと歩を進めていた。いきなり全力で走って喉が乾いたので、丁度そこに有った自販機を覗いてみると、それは激安販売機だった。その中には得体の知れない果汁飲料と、不味いに決まってる炭酸飲料と、種類が重複しているコーヒーが並んでいる。

 飲みたくもない缶コーヒーだったが、その中ではまだマシそうだったので買う事にした。だがしかし……。

「何だよ! ホットかよ!」

 ガタンと販売機から出てきたのは、喉の渇きを潤すには熱過ぎる、チンチンに温まったホットコーヒーだったのだ。

 運が悪いと次から次へと厄災が訪れる。

 更に俺を襲って来たのは頭上からの攻撃。アア、アアと鳴きながら烏が頭を突っついてくる。運が良いしおりさんの元を離れたからに違いなかった。


< 165 / 194 >

この作品をシェア

pagetop